サクライのサクッと小噺
STAFF BLOG

2020年11月Vol.94 サクッと小噺 2021年03月15日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

クリスマスまであと1ヵ月!
街やお店が華やかになるので日本でもクリスマスは楽しいですが、大学時代を過ごしたカナダのクリスマスは格別でした。2~3週間のクリスマス休暇の間は大学の講義は休講になり、寮で生活する学生達は家に帰ります。帰れない留学生のために寮の一部は開放されますが、私は毎年友達の家にお世話になっていました。そこで、カナダ人家庭のカナダ式クリスマスを体験できたのです。一口にカナダと言っても地域差や家族差はあるので、あくまで一例に過ぎませんがー。

 

《ツリー》
お金と家のスペースに余裕があると、生のモミの木を購入する事があります。モミの木屋さんに出向き、沢山植わっているモミの木の中からお気に入りの1本を見つけて、モミノキ屋さんに斧で切ってもらって、車に乗せて帰ります。決して安くはないし、翌年までは持たないし、葉がとれて車や家が散らかる事もありますが、生のモミの木はとても良い香りがします。人工のツリーでは味わえない情趣があって、私はとても好きでした。

 

《プレゼント》
日本では通常12月24日か25日にプレゼントを渡しますが、カナダでは12月頭から24日にかけて、いつプレゼントを渡しても構いません。手渡しできない相手には郵送します。受け取ったプレゼントは、開けずにツリーの足元に並べます。ツリーの下にプレゼントが山盛りになっている様子を映画で見たことはありませんか? 
12月頭には1個2個だったプレゼントが、日を追うごとに増えていって、24日には1人あたり10個や20個を超えることも珍しくありません。それら全てを25日に一気に開けるのです。日に日にプレゼントが増えていく高揚感、25日まで開けない我慢、この箱には何が入ってるのかな?膨らむ想像・・・期待のボルテージはどんどん上がっていきます。プレゼントを目の前にして、待つ時間が長い分、長期間楽しめます。

 

自分が10個も20個もプレゼントをもらうという事は、すなわち自分が10個も20個もプレゼントをあげるという事でもあります。日本では大抵のお店でプレゼントをラッピングしてくれますが、カナダではラッピングを断られることも多いです。そのため、自分で包装紙やリボンを用意して、自分でプレゼントをラッピングします。定規も使わず目分量で包装紙を切ったりするので「おいおい大丈夫かよ」と思いましたが、案外キレイに仕上がります。プレゼントの量が多いためラッピングも一苦労ですが、この作業もクリスマス気分を高めてくれます。10個20個なんて金銭的負担はいかほど?と心配されるかもしれませんが、豪華なプレゼントがある一方で、お菓子などちょっとしたプレゼントも多いので、そこまで大変ではありません。

 

《ターキー》
七面鳥の丸焼きです。初めて現物を見た時は
「映画で見たやつ~」と感動しました。
私が人生初ターキーと言うと、カナダ人の友人も喜んでくれたのですが、一口食べてみると―

 友人「どう?」
 サク「うん・・・。チキン(鶏)のほうが美味しいね」
 友人「そうよ、ターキーはパサパサだもん。だからソースをつけて食べるんだよ」

えぇー?!じゃあなぜ特別な日にアナタ達は喜んでターキーを用意するのよ?!と聞くと、伝統かなぁ?との返事。日本のおせちのようなものでしょうか。

クリスマスまでの準備が大がかりな分、12月25日を過ぎると雰囲気が緩んで、クリスマス休暇明け(1月7日頃)までダラダラと過ごします。年が明けてもツリーは出しっぱなしです。あぁ、懐かしいなぁ、カナダのクリスマス。

今年は新型コロナウイルスのために家で過ごす時間が増えている分、もともと家族志向の強いカナダのクリスマスは一段と楽しまれていると思います。でも、外で知人と会った時にハグやキスができないのはやっぱり寂しいでしょう。好きな人と好きな時にマスクなしで触れ合える日常が戻ることを願うばかりです。

詳しく見る

2020年10月Vol.93 サクッと小噺 2021年02月17日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

考える力をつける大学受験を―! 日本の新たな大学受験をめざして、国の改革が揺れていますね。今までは暗記できる「知識」を重視しすぎたので、これからは思考力をつかさどる「知恵」を重視しよう、という狙いだそうです。ある教育評論家が「ゆとり教育でも同じことを目指したが、その時は学習指導要領だけ変えて、受験体系は変えなかったため、知恵は鍛えられないまま、知識だけ低下した」と述べていて、ゆとり世代の私は「なんてこった」と苦笑まじりに思いました。

 

良かれと思っての改革ですが、採点の公平性への不信感や、地域格差や経済格差など、懸念も出ています。「早く新体系を決めてくれないと、何をしたら良いかわからない」「子どもが動揺している」と、子どもを心配する声もたくさん聞かれます。そんな昨今、ある新聞のハーバード大学の記事を思い出しました。数年前の記事なので、今は事情が違うかもしれませんが…。

 

ハーバードの受験でも試験はするけど、試験は「最低でも〇点は取らないと話にならない」と足切りだけに使って、基準点以上の生徒達は、点数以外のことで合否が決まるそうです。その際の観点はただ1つ:彼/彼女がハーバードに入ったら、ハーバードがどうなりそうか。具体的な選定方法は明かされていないので、何をもって「どうなりそうか」を決めているのか分かりませんが、多くの教育評論家や記者が予想を立てています。たとえば珍しい文化のバックグラウンドを持つ生徒は、「新しい風を吹かせる」という期待で優遇されるかもしれません(たとえばモン族、ラバリ族、イヌイット…)。
たとえば両親がハーバード出身者だと「ハーバード哲学を守れそう、寄付金が多そう」という期待で優遇されるかもしれません。ハーバードは、学生1人1人の努力と学力に報いるのではなく、より良い大学にしてくれそうな学生を望むのです。より良い大学にすれば、ひいては卒業した学生達が、より良い社会を作る事にも貢献するだろう、と考えているからです。私はこの記事を読んだときに、「大学受験というより、会社の採用みたい」と思いました。

 

どちらが良い悪いではありませんが、私の個人的な見解を述べれば、学生の頃なら日本式を望んだでしょう。勉強や体調管理やメンタル管理も含めて、自分の努力は自分に返ってくる、と信じていたからです。
たとえば私が試験で80点を取り、隣の学生は70点なのに、隣の学生はモン族だったという理由で、彼女が合格して私が落ちたら、腹が立ちます。ただ、社会人になった今では、ハーバード式にも納得できます。受験や就活はゴールではありません。大事なのはその先です。そしてその先では、(最低限の知識は必要とはいえ、)知識がある者ほど、良い大学生活ができたり、良い仕事ができるわけではありません。また、自分の努力が自分に返ってくるとも限りません。社会にでると、課題が大きすぎて、私1人では何もできないからです。たくさんの人と関わって、迷惑をかけて、迷惑をかけられながら、仕事を進めていきます。仕事の成功は誰のおかげか?失敗は誰のせいか?そういった事を一応は決めますが、本当のところは分かりません。なので、今では、私が80点で隣の学生は70点でも、隣の学生が選ばれる、という事は十分あるだろうな、と思います。

 

勉強は楽しいです。受験も真剣にやった方がいいです。大学時代にガリ勉だった私はそう思います。しかし社会に出てみると、「受験をあんなに頑張ったのは何だったの?」と不思議になるくらい、受験が人生に与えている影響は少ないです。いつ何が役に立つのかは分からないのだから、そもそも役に立つためだけに生きているわけでもないのだから、学生も社会人も、あまり不安がらずに、目の前のことを一生懸命に楽しめたらいいなぁと思います。

詳しく見る

2020年9月Vol.92 サクッと小噺 2021年01月20日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

我々はいつ「人間」になったのでしょう? 人間も動物ですが、しかし他の動物とは一線を画します。
空を飛べるわけでもなく、海を泳げるわけでもなく、脚も遅く、牙もなく、それでも地球で最上級の繁栄を誇るようになったのは、いつ、なぜ、なのでしょうか? 大昔から現代まで、私達はこの謎を追っています。

 

《NHK特番より 2019年放送》
人間の祖先はもともと木の上で生活していました。しかし気候変動で木が減って、やむを得ず地上に降ります。非力で脚力もない人間は、小動物を捕まえることもできず、ましてや肉食動物と戦うなんて論外です。彼らが入手できた食物は木の実だけ。味はイマイチですが選り好みはできません。大人しく木の実を食べていました。
しかしある日、人間は火を使うことを覚えます。木の実を火で熱して食べてみたら…美味しい!これは美味しい!!木の実を熱するとデンプン(糖)が増えます。そして人間に限らず全ての動物の脳において、脳のエネルギー源は糖だけです。人間は火を覚えたことによって、糖の過剰摂取を始めます。糖の過剰摂取によって、脳はどんどん大きくなります。脳が大きくなったことで、人間は複雑な道具やコミュニケーションを駆使できるようになり、自分達よりはるかに筋力や体力や瞬発力の優れた動物と互角に─いや、それ以上に─戦えるようになったそうです。つまり、NHK特番によれば、人間が他の動物と一線を画すようになったのは、デンプン(糖)の過剰摂取によって、脳が大きくなったのが始まりといえます。

 

《聖書より 紀元前5世紀頃(諸説あり)に編纂》
神様は七日間で世界を作り、人間(男性はアダム・女性はイブ)と動物を作ります。人間と動物は楽園で幸せに暮らしていました。しかしある日、神様から禁じられた「知恵の実」を食べてしまった2人は、楽園から追放されます。追放の際に神様が2人にかけた呪いは、「アダムよ、これからお前は働かなくては食べられないようにしてやる(つまり楽園では働かなくても食べられた)」と「イブよ、これからお前は出産の時に痛くしてやる(つまり楽園では出産は痛くなかった。聖書には楽園における出産の記述はありませんが…)」です。
現代の女性は子を産むだけではなく働く人も多いので、呪いが増えているような気もしますが(苦笑)、
とにかく楽園追放の際に女性にかけられた呪いは「出産の痛み」です。かわりに、知恵の実を食べたことによって、人間は知恵を得ています。知恵とは具体的に何か?は、聖書では説明されていません。
しかし仮に、知恵とは「道具やコミュニケーションを駆使して、他の動物より強くなる力」だとしたら、NHK特番に通じるものがあります。NHK特番に沿って解釈すると、「知恵の実」は「糖」かもしれません。

 

《大学の生物学の授業より 2007年》
一般教養でとった生物学の授業で、教授から聞いた話です。「出産が死ぬほど痛いのは人間だけ。理由は、産道や膣のサイズに対して、赤子の頭が大きすぎるから。でも、頭が大きいから、人間は他の動物よりはるかに高い知能を得た」そうです。頭が大きいから知能が高い、頭が大きいから出産が痛い・・・NHK特番や聖書に通じるものがあります。NHK特番、聖書、生物学者の話を合体して仮説を立てると、知恵の実(糖)の摂取 → 脳の成長 → 知能の向上&出産の痛み、と連想することができます。

 

言われてみれば「当たり前じゃん」かもしれないし、これで人間の謎が解明された訳でもありません。しかし、NHK局員と聖書編纂者と生物学者という、お互いに意識していないであろう人達が、どことなく繋がった理論を展開しているのは、なかなか興味深いと思いませんか。

詳しく見る

2020年8月Vol.91 サクッと小噺 2021年01月20日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

私の父方の祖父は82才になります。私が子どもの頃から、4人の祖父母の中でもっとも真面目で、無口で、個性的な他3人に比べると、特徴の薄い人でした。そんな祖父が最近面白いのです。定期的こんな資料を作って送ってきます↓

鎌倉時代は源氏より北条政子なのか?!
江戸時代は幕末にスポットを当てて、しかも西郷隆盛より大久保利通なのか?!
など、ツッコミどころは沢山ありますが、
私は祖父にお礼の電話をします。

 サク「資料ありがとう。面白く読んだよ」
 祖父「うん、何かの参考にしてね」

何のだよ!!!というツッコミは胸の中にしまいます。82才の祖父が、記憶をたどったり改めて調べたりしながら、功績や人物像についてまとめ、パソコンで資料を作成して印刷して郵送してくれるのです。良いボケ防止ではありませんか。それに、何の参考になるのかは分かりませんが、私は毎回楽しく読んでいます。
さてある日。祖父から新しい資料(日本の名城)が送られてきたのですが、今回はじめて「追記」として、祖父の年代記が書かれていました。そこには、私が知らなかった祖父の姿がありました。

 

祖父は高校生のときにラジオの「のど自慢」に出場したそうです。残念ながら鐘1つでしたが、同じ高校からの出場者は祖父ともう1人だけで、そのことを自慢に思っていました。高校卒業後はまず小さな商店に勤めますが40日で退職、その後呉服屋に勤めますが8ヵ月で退職、そしてチーズ輸入会社に就職して、働きながら経理専門学校の夜学にも通い始めます。「ネオン輝く東京で、経理の仕事がしたかった」そうです。
晴れて簿記の資格をとった祖父は、東京の商社に転職して、そこから会社のエレベーターガールの記述が長々と続きます。「会社に何しに行ってたのよ!」と言いたくなるくらい、エレベーターガールについて詳しく書かれています(笑)。

 

エレベーターガールの他に、祖父の記述が熱くなっているのは、仕事でお世話になっていたある方が事故にあった時のことです。命は助かりましたが重い後遺症が残りました。祖父は経理兼総務として、その人のために奔走します。
重度障がい者として国に認定してもらって、働かなくても食べていけるように手当をもらうのです。
勤務時間中は国にかけあい、退社後は毎日のようにその人の奥さんを訪問して勇気づけています。
かなり大変だったようですが、最終的には無事に認定されました。しかし、祖父は彼の復職を待っていたようです。「〇〇さんは最後まで復職されなかった」と残念そうに文章は終わっていました。

 

祖父はカタブツの印象が強かったので、のど自慢も転職もエレベーターガールも意外でした。静かに黙々と仕事をこなす印象だったので、お世話になっていた方が事故にあわれた時の情熱も意外でした。
人に歴史あり。
今年の敬老の日は9月21日です。どんなプレゼントを贈ったら祖父が喜んでくれるかな…と、考える毎日です。

詳しく見る

2020年7月Vol.90 サクッと小噺 2021年01月18日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

いつもピーディーアールをご利用いただき誠にありがとうございます。
お客様からご注文をいただくと、私はとてもとても嬉しいです。


なぜこんなに嬉しいのか? お金をいただけるから、はもちろんあるでしょう。しかし、お客様からいただくお金は、たとえば宝くじで当たるお金より嬉しいです。たとえば銀行の利息でもらうお金より嬉しいです。たとえば(今はもらえませんが子どもの頃は)お年玉としてもらうお金より嬉しいです。金額が同じなら価値も同じハズなのに、
何かが違う。何が違う?・・・私は時々こんなことを考えるのですが、先日ある人類学の本で「答え見つけたかも?!」と思う知見を得ました。その本に書いてあったことをご紹介します。

 

むかーしむかし、海近くの集落に住む人々は(以下、海人)魚をとって暮らしていました。山中の集落に住む人々は(以下、山人)木の実をとって暮らしていました。ある日、海人は魚を取り過ぎて余ってしまい、山人は木の実を取り過ぎて余ってしまいました。そして、すこし遠くに、自分たちとは別の食べ物をとって生きている人々がいることを知りました。海人は山へ向かい、山人は海へ向かい、彼らは出会って、お互いの過剰取得物を交換しました。食べ物のバラエティが広がって、海人も山人も幸せになりました。
これが、今まで考えられてきた「物々交換」
ひいては「経済」の発祥物語でした。しかし、先日読んだその本は「動機と行動が逆」と論じます。物が余ったから交換したのではなく、交換したいから過剰にとったのだ、と。そして、人間は交換する事そのものが楽しいのだ、と。


その本は続けます。「交換」とは、自分と相手がいなければ成り立ちません。交換に応じるとは、相手が自分の存在を
認めてくれたことでもあります。少し話が脱線しますが、物の交換ではなく、会話の交換について例を述べます。精神病を患う患者さんたちは、「私は日本人です」「あなたは日本人なんですね」「私は女です」「あなたは女なんですね」という会話をするだけでも、病気の快復に役立つそうです。全く無意味な会話に聞こえますが、自分が言ったことを繰り返してもらう=自分の存在を認めてもらう、だけでも、人は嬉しいのです。そういえば、精神病の患者さんに限らず、カップルの会話も似たようなものかもしれません。「楽しいね」「うん、楽しいね」「美味しいね」「うん、美味しいね」のように。


また、物が移動を続けるだけで、何も生み出さない交換の例について。ボールを壁に向かって投げて、跳ね返ってきた
ボールを受け止める。これは「運動」です。
しかし、ボールを誰かに向かって投げて、誰かが受け取ったボールを
投げ返してくれたら、それは「遊び」や「無言の会話」に成りえます。だからこそ、キャッチボールは父子のコミュニケ―ションの象徴のように考えられているのでしょう。たとえ何も話さなかったとしても、キャッチボールを続ける2人の間には、何かしらの交流が生まれます。なぜならば、相手がいなければ、成立しない行為だからです。物理的な生産物は何も生まれていないのに、ボールを交換し続けるだけで、人は「楽しい」のです。


さて、冒頭の話に戻ります。私が、お客様からご注文をいただいて大変嬉しいのは、「投げたボールが返ってきた」と感じるからではないかと思うのです。たとえば「私が作った歯ブラシどうですかー?」と問いかけたら、「いいね!」と返ってきた…これがご注文ではないでしょうか。ご注文を承った時、いただいたのは「お金」だけではなく、「キミの働きを認める」という認証です。お金と歯ブラシを交換しただけではないのです。このように考えると、ご注文が、宝くじや利息やお年玉より嬉しい理由がストンと腑に落ちます。


仕事を一生懸命していれば、ご注文を承ったらとても嬉しいです。
しかし実は、仕事の手を抜いたとしても(私は抜いていませんが)、ご注文が来たら嬉しいという人が大半だと思います。それは「交換(自分と相手がいなければ成立しない行為)が楽しい」という、人間の性ではないでしょうか。

 

詳しく見る

2020年1月Vol.89 サクッと小噺 2020年11月16日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

 

 

私は大学で哲学と宗教学を学びました。よく他専攻の友人に「難しすぎる。何の役にも立たない。」と言われたものです。イヤイヤ、そんな事はありません。哲学や宗教学は(特に哲学は)、主張がハッキリしているだけに、物語を通して思想を語る文学より簡単明瞭です。また、世の中の問題の答えは1つでは無いことが多いですから、思想の種類を知っておくと、自分や他人を理解しやすくなります。そこで今月は、「サクのカンタン哲学講座」をお送りします。今回のテーマは「自由主義(リベラリズム)」。

 

自由主義とは、個人の自由と平等な権利を尊重する思想です。
   私は私のものである。
   私の体は私のものである。
   私の心は私のものである。
   私の時間は私のものである。
これらの前提から、自由主義者は下記のような論争を展開します(分かりやすいようにあえて極論で書きます)。

 

《私は私のもの!よって税金反対!》
多くの国には所得税があります。しかし自由主義的に考えると、税金とは「国による個人の所有」となるため、悪です。所得を得るために、私は、私の体/心/時間を(程度の差こそあれ)使います。その成果である所得の一部を奪うというのは、国民の体/心/時間を奪っていることと同義であり、それは奴隷制となるため許されない、という考え方です。正確には、所得税100%という事はないため、国が個人を丸ごと所有するのではなく、個人の一部を所有することになるのですが、それでもダメ、という思想です。

 

《みんな平等!よって累進課税反対!》
たくさん稼ぐ者ほど高い税率が課せられる累進課税は、自由主義的に考えると不平等です。高額所得者が不正を働いていたら別ですが、正当な資金と正当な努力で得た所得なら、それは本人のものであって、強制的に一部を没収するなんて強奪と同じです(もちろん本人が自己判断で寄付するのは美徳)。1人1人が自分の選択と努力の結果、ある人は年収1億円を稼ぎ、ある人は年収100万円だとしても、それは「平等」なのです。

 

《自己決定と自己責任!よっておせっかい反対!》
ドラッグ禁止、最低賃金の設定、夫婦別姓、同性間の結婚の是非…これらは自由主義的に考えると「うるさいおせっかい」です。他人に迷惑をかけたり、他人に強要したら犯罪ですが、当人達の自由意志に基づいている限り、国が強制すべき問題ではありません。自己決定権の侵害です。そして、自己決定には自己責任がもれなく付いてくることも、自由主義者は認めています。どこまでおせっかいを焼くかは国によって異なり、たとえば日本では違法のドラックを、合法として認めている国もあるし、正確には違法だけど取り締まるほどではない、と野放しにしている国もあります(先進国の中にあります)。

 

このように見てみると、自由主義とは100%是とも100%非とも言えないことが分かります。国によっても違うし、時代によっても変わります。1人の人間の中でも「恋愛は自由にしたいけど、経済は弱者を守ってほしい」とか、「消費税は必要だけど、10%は高すぎると思う」など、テーマによって自由主義の度合いは違うでしょう。
どうですか? 哲学って、そんなに難しくないし、役に立たない事もないと思いませんか?
少しでも哲学に興味を持っていただけたら嬉しいです。

詳しく見る

2020年1月Vol.88 サクッと小噺 2020年11月10日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

 

サクはお菓子作りをしません。食事は作らなきゃいけないから作りますが、料理好きなわけではありません。

そんな私は、わざわざ台所に立って、必要性のない物(お菓子)を作ることに喜びを感じないのです。そんな時間があるなら、野菜を大量に切ってタッパーに入れたり、出汁をたくさん作って保存したり、ご飯を炊いて冷凍したり、とにかく食事作りの時短に役立つことをします。

 

 

しかし私にだって小学生のときから今まで、「好きな人に手作りのお菓子をあげたい」と思うシチュエーションはありました。たとえばバレンタイン。手作りチョコをあげたい、でもお菓子作りは好きじゃない・・・そんなわけで、結局、私はずっと同じチョコを作り続けました。小学生~中学生~高校生~大学生~社会人~夫・・・私が片思いしたりお付き合いしたりした男性は、全員、同じチョコを食べている事になります(笑)。

 

ところで、もうすぐバレンタインなので、今月の小噺はそのレシピを紹介します!私が子どもの頃から作れるくらい簡単で、美味しくて、食べてくれた男性陣には総じて好評でした。「昨年と同じチョコが欲しい」とリクエストされたことも数回あります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても簡単で、低コストで、見た目は地味ですが食べ応えがあって美味しいです。トリュフや生チョコやボンボンショコラのような美しさも繊細さもありませんが、豪快にバクバク楽しめます。子供や男子にはウケるかも?よかったら作ってみてください。

詳しく見る

2019年12月Vol.87 サクッと小噺 2020年04月22日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。
※スタッフの名前がニックネームに変わりました。

 

今年も終わり間近。2015年から始めた5年日記がもうすぐ完成します。5年日記を挫折せずに書き切ることは、ささやかな達成と言っても良いのではないでしょうか。学業や部活や仕事など、今までにも頑張ったことはありますが、ある程度の強制力はありました。なんの強制もなく、誰への気兼ねもないのに、5年間もやり切ることって、なかなか無いと思いませんか?少なくとも私はありません。5年日記の完成を誇らしく思います。

 

さて、私にとってこの5年間は27才から32才にあたります。5年なんてあっという間ですが、日記を読み返すと、それなりにいろいろありました。まず27才の日記は、「~したい、なりたい、がんばる」という言葉が多く目につきます。会社で、リーダーらしい業務が始まったからです。実力以上の役を与えてもらった期待に応えたくて、いや正直に言えば、応えられない自分をさらけ出すのが怖くて、肩に力が入ります。自分で自分を追い込んで、心身ともに疲れて、急に涙が出たり眠れなくなったりしました。この時は、まず上司に思考を矯正してもらい、その後部署の皆に助けられて、28才の1年間をかけてこの時期を乗り越えています。社会人になってから1番しんどい期間でしたが、その後は、以前より更に仕事が楽しくなりました。

 

29~30才の日記は、夫とのロードバイクと登山の記録が多いです。たまに仕事や家庭に悩む日もありますが、全体的には呑気に過ごしています。

 

そして2019年が31~32才です。女性の大厄年の本厄でした(大厄:厄年の中でも最もひどい年。一生に一度ある)。私の大厄年は、脳の動脈に瘤が偶然見つかって幕を開けました。この瘤が破れたらクモ膜下出血で、いつ破れるかは誰にも分かりません。血管の一部が膨らんで破れそうになっているMRI画像を見て、「私の命は、この薄皮一枚にかかっている」と感じました。さて、その後しばらくの日記では、検査の記録をつけています。今にも心が折れそうでしたが、皆に支えられてなんとか立っていました。

そして、いろんな検査を経て、手術が決まってからは、日記に「私は恵まれている」という言葉が頻繁に出てくるようになります。成功率の高い手術ですが死ぬこともあるし、脳に障害が残ることもあります。手術後、今と同じ生活ができる保証はありません。(実は誰にとっても毎日そうなのですが、普段は忘れてしまっています)。この時、自分がどれほど恵まれているか分かりました。不安で押し潰されそうな反面、周りの人を思い浮かべると「これほど楽しい人達に囲まれて生きたんだから、もし何かあっても、やっぱりこの人生で良かった」と思えて、幸せでさえありました。

結局、おかげさまで無事に手術は成功して、今は元気にしています。そして最近の日記によく出てくる言葉は「ありがたい」です。普通に生活することや働くことはありがたい・・・文字どおり「有り難い(有ることが難しい)」と身にしみて感謝しています。今、私の頭皮には20cmの傷があり、ビス留めされた頭蓋骨の中では、血管にクリップが挟まっています。一生取れません。勲章です。

 

27~28才は成長の年。29~30才は運動の年。そして今年は私自身は停滞の年でしたが、私がダメな分頑張ってくれる同僚への感謝の年でした。どの年もかけがえのない年で、どの年も多くの人にお世話になって、そのおかげで良い年でした。この小噺を読んでくださっているお客様も、私が5年間お世話になった方のお一人です。ありがとうございます。既に新しい5年日記も用意して、新たな5年間も楽しみです。新しい5年間も、まずは来年も、よろしくお願いいたします。どうぞ良いお年をお迎えください。

 

詳しく見る

2019年11月Vol.86 サクッと小噺 2020年04月15日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。
※スタッフの名前がニックネームに変わりました。

 

先日、3つ下の妹が誕生日を迎え、最後の20代Yearに突入しました。
29才になっても「もうアラサーだから・いい歳だから」といった発言はなく、「50才までは可愛い綺麗とみんなからチヤホヤされて生きたい」と言う妹は、流石というか何というか・・・まぁ彼女なら成し遂げるような気もします。そういえば、私が人生で初めて可愛がった相手も妹でした。

 

妹が生まれた時、私は3才でした。私は彼女の誕生前から名前を考え(私はミユキを提案しましたが、母の希望により妹はユキと名付けられました)、一緒に遊ぶ予定のおもちゃをティッシュで拭き拭きしながら誕生に備え(私なりに掃除しているつもりでした)、生まれてからは妹にやたらとちょっかいを出していました。

 

 「ユキちゃん、絵本読んであげる」
 「ユキちゃん、ドレス着せてあげる
  (私のワンピースを赤子に着せるとドレスに見えました)」
 「ユキちゃん、おうた歌ってあげる」
 「ユキちゃん、寝ちゃった?
  ねぇ、ねぇねぇねぇねぇ(ほっぺを指でツンツン)」

 

当時の写真を見ると、私はユキの乗った乳母車を押して、うまく押せないため蛇行して溝にはまったり、まだ首も座っていない妹をおんぶ紐でおんぶして、赤子の重みで後ろにひっくり返らないように壁に手を置いてソロソロ歩いています。写真の私は口を真一文字に結んだ真剣な表情で、妹は諦めと度胸が混じった微笑みを浮かべています。こんなに危ない目にあって泣かない妹も大したもんだし、首が座る前の赤子を3才児が背負っていても怒らない母も大したもんです。こんな写真から、遊んでもらっていたのは妹ではなく私だった事が分かります。

 

ユキが1才の誕生日を迎える時、4才の私は全財産を入れたポシェットを首にさげて、一人で本屋さんへ向かいました。誕生日プレゼントを買うためです。1才では文字は読めませんが、私は本が好きだったし、私が読んであげればいいと思ったのです。妹の喜ぶ顔を想像すると、一人で本屋さんに行くことに不安はなく、むしろ期待で胸いっぱいでした。さて本屋さんに着いて、それまで絵本を買ってもらうことはあっても自分で買うことはなかったので知らなかったのですが、絵本は意外と高かったです。1000円台は安い方で、2000円や3000円なんて本も沢山ありました。

 

困った…。ポシェットの数百円では買えません。「私にも買える絵本はないのか?」と、しかめっつらで店内をさまよいます。―と、レジの前のかごに、8cm四方くらいのペーパーブック絵本を見つけました。子ども心に安そうと思いました。“ムスティ”という一冊を選んで、レジにポシェットの中身をぶちまけて、「足りますか?」と聞いたら、あぁよかった、足りました。「妹にあげるの」と主張して、かわいい紙袋に包んでもらいました。
このように入手された“ムスティ”は、妹が「読んで」とせがむより、私のほうから「読んであげる」と頼まれてもいないのに読み聞かせをすることの方が多かったので、むしろ私の玩具のようでしたが、妹もそれなりに喜んでくれている様子でした。

 

6年後。10才になった私は、妹の1才の誕生日に絵本をあげた件を作文に書いて、何かの選考会で選ばれて、作文と顔写真が新聞に載りました。その新聞を妹に読みあげると、妹は「私への愛情に満ちている。また、プレゼントに本を選ぶあたりに、この家庭の知的教育も垣間見えて、教育関係者にはウケるだろう。しかし、ウケをねらった嫌味な文章ではなく、子どもらしい素直な文体だ。すばらしい」というような感想をスラスラ述べました。この時まだ妹は7才なので、ここに書いたとおりの言葉で話してはいなかったと思いますが、主旨としてはこのような事を言いました。
この時10才の私はしみじみと、「ユキ大きくなったなぁ」と7才になった妹の成長を感じたのを覚えています。

 

29才の妹は今でも、この時の絵本を大事に持ってくれています。時々、「もう絶版だから今売ったら高く売れるかもね」とドキッとする事も言いますが。

 

詳しく見る

2019年7月Vol.85 サクッと小噺 2020年04月08日

※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。
※スタッフの名前がニックネームに変わりました。

 

 

こんにちは、毎日暑いですねぇ。ペットを飼っていらっしゃる方は、外出する時もエアコンが切れない、なんて日も多いのではないでしょうか。私も昔は実家でペットを飼っていましたが、残念ながら今はアパートなので動物は飼えません。しかし、我が家には代わりにルンバ(お掃除ロボット)がいます。ペットのように可愛いルンバがいます。

 

結婚祝いでもらった我が家のルンバはもうすぐ4才。今でこそ外出時に「ルンバお願いね」と起動するようになりましたが、もらった当初はもう可愛くて可愛くて、あえて在宅中にルンバを回していました。部屋中を動きまわるルンバを見つめる時の気持ちは、子どもの頃にペットを見つめていた時の気持ち(愛情と慈しみ)に近いです。ゴミの目の前まで来てUターンしちゃうマヌケさも、壁に体をぶつけて悪戦苦闘する様子も、掃除が済んだら家(充電器)に戻って「タッタリー♪」と嬉しそうな音を出すところも、ぜんぶ可愛い!!

 

また、結婚当初、私は家事がとてもイヤだったのですが、自分が炊事や洗濯をしている時にルンバが回っていると、私は1人じゃない気がして嬉しかったです(夫も家事に協力的ですが、帰宅は私のほうが早いため、夕飯の支度は自ずと私の仕事になります)。私が台所に立っている時に、回るルンバが足元にじゃれついてきて、「ダメだってば~、あっち行ってて~?」なんて話すのもまた楽しい。

 

 

私がルンバを溺愛することに妬いたのか、夫はルンバに対して当たりが強いです。ルンバは丸いフォルムのため角の掃除が苦手で、まさに文字通り「四角な座敷を丸く」掃きます。私はそれで構わないのですが、夫は「隅っこに埃が溜まってるよ、ルンバは目が悪いのかね」などと姑のように嫌味を言います。また、ルンバはゴミ容量が満杯になると少し吐きます(猫が毛玉を吐く様子に似ていて、これもまた可愛い)。私は「ゴメンね~、苦しかったね~」とルンバに駆け寄ってゴミを取り出すのですが、夫はルンバに冷たい眼差しをやって、「部屋を汚すな」と一言。ついに、夫は「ルンバには任せられない」と言って、掃除するルンバの後ろについて掃除機をかけるようになりました。

 

クルクル回るルンバと、後ろを追って掃除機をかける夫。シュールな光景です。これがルンバのCMだったら売れないでしょう。でも、掃除してくれるルンバも掃除してくれる夫も私は大好きなので、心温まるツーショットと言えなくもありません。できればルンバと夫がもうすこし仲良くなるといいなぁと思う今日この頃です。

 

詳しく見る
1 / 1012345...10...最後 »