スタッフのひとりごと
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夢の自動運転 2016年09月14日

こんにちは。
今回はシステム担当の長谷川がインターネットでの話題をお届けします。

 

SF映画などで、車が自動運転で目的地まで運んでくれるといった映像を

ご覧になったことがあると思います。
また、最近では自動運転に関するCMが巷に流れ始めています。
利用者が目的地を告げるだけで、車が勝手に渋滞情報などを考慮して最短ルートを選択し、

交通事故を回避してくれて、快適に目的地まで連れて行ってくれる。
そんな夢のような話がすぐそこまで来ているという話題です。

 

自動運転技術となるとトヨタ・日産・本田・BMW・GM・ベンツ・ボルボ・アウディなど

名だたる自動車メーカーがしのぎを削って開発競争を行っているのですが、

実は政府も大きく関わっていることはあまり知られていないのではないでしょうか?

実は政府は、2015年6月に「官民 ITS 構想・ロードマップ 2015 ~世界一安全で円滑な道路交通社会構築に向けた自動走行システムと交通データ利活用に係る戦略~」という指針が発表されているのです。

その指針の中には、自動運転システムとして下記のように分類分けされています。

 

・レベル1(単独型)
 一定の速度で走行したり(クルーズコントロール)、前方を走る車との距離が縮まったら自動的に
 ブレーキをかけたりするなどの、「運転を支援する機能」の搭載。
 自動ブレーキシステムや自動パーキングシステムなどがこれで、既に実用化されています。

 

・レベル2(システムの複合化)
 車載システムが、ハンドル操作や加速などを行う機能を搭載。
 道路の交通状況などを解析して、車線変更、追い越しなどを自動的に行う。
 レベル2では、あくまでも運転の中心は人間のドライバーであって、

  車載システムの仕事はドライバーを 補助するもの。

 

・レベル3(システムの高度化)
 人間と自動車の立場が逆転し、運転の主体が車載システムに移ります。
 通常の発車、加速、車線変更、ブレーキ、駐車などの操作は、

ドライバーではなく車載システムが 自律的に行い、

ドライバーである人間は、緊急時の対応のみを行います。

 

・レベル4(完全自動走行)
 人間による操作がまったく不要になります。
 発車、加速、車線変更、ブレーキ、駐車はもちろん、非常時の対応も車載システムが行います。

 

現在、政府が目指しているのが、2020年の東京オリンピックでレベル4を実用化するために、

技術はもちろんのこと、自動運転車が事故やトラブルを起こした場合のドライバー責任や

保険の適用範囲など法的整備を急速に進めているのです。
政府も自動運転車の普及に積極的で、内閣府は27年、神奈川県などを国家戦略特区に指定し、
無人タクシーの実証実験を実施すると発表しています。
小泉進次郎内閣府政務官は「日本を世界初の完全自動走行社会にしたい」と強調しているそうです。

 

現在の段階では、レベル4に一番近いのは、名だたる自動車メーカーではなく、

グーグルの自動運転車だということもすごいことだと思います。
計150万マイル(約240万km)の公道実走試験を行うなど、

米Googleは米国で積極的な自動運転開発を行っています。
このグーグル自動運転実験車にはハンドル・アクセルはもちろんのこと、

ブレーキさえもついていないそうです。

 

この自動運転技術が実用化されれば、目的地までのルートを算出する機能を

クラウドで一元的に運用されて、エリア全体での交通状況を予測しながら、

ひとつの道路(ルート)に集中しないように

「この車はAルート、この車はBルート、この車はCルート」と

分散させることができるようになり、交通渋滞がなくなります。
また、渋滞が減れば燃費も向上させることができて、

ガソリンなどの資源節約にもつながるでしょう。

それから、高齢者運転による道路の逆走やアクセルとブレーキの間違いなどの

交通事故を減少することができ、高齢者の足としても有効に活用できると思います。

さらに、カーシェアリングがますます普及することが予想されます。
今、私たちが自動車を所有するのは、「使いたいときにすぐに使える」という利便性が大きいです。
しかし、自動運転が進めば、「カーシェアリングで予約した自動車が、

指定した時刻に自宅の前で待っていてくれる」という社会になるかもしれません。

 

私個人的には車大好き人間だし、運転することも大好きなのですが、

目の前に広がっている夢のようなテクノロジーが

私たちの生活の利便性をどのように高めていくか、期待を持って注目していきたいと思います。
 

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海辺ドライブ 2016年09月13日

みなさんこんにちは。池尾です。

先日、綺麗な海が見たいと思い立ち、一人旅で福井まで行ってきました。

名古屋から電車を乗り継いで、勢いで福井駅まで行ったものの、

どうすれば海に行けるのかよく分からない。

駅前のレンタサイクルの受付のお姉さんに、駅前から自転車で海に行けるか聞いたところ、

港なら行けるとの事。

 

行きたいのは、港ではなく水晶浜だったので

「だったら車で行くしかない!」とレンタカーショップへ。

一人ならコンパクトカーで充分だと、コンパクトカーを借り、
「いざ、美しい海へ!」と、海辺を目指して颯爽と車で走り始めました。

 

目の前に綺麗な海が見えてきて、「ワー!」と気分が盛り上がったとき……気付きました。
綺麗な海が道路から見渡せても、自分が運転していると、ゆっくり見られない…。

 

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ドラマなどで、車と海が映っているときは、ヘリコプター目線だったのだと気が付きました。
あぁ、残念。
次はヘリコプターから、海を見てみたいと思います。

 

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ドライブしながらの海の景色はあまり堪能できませんでしたが、
帰りには銭湯にも寄り、とてもリフレッシュできた週末でした。

 

PS.お土産には、うに豆が好評でした。福井県に行かれる方は、おつまみにぜひどうぞ。

 

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夏を満喫! 2016年09月12日

入社2年目の谷澤です。

 

今回は、同期の中村・池尾と岐阜へ行き、
夏を満喫したお話をしたいと思います。

 

『夏』といえば、BBQ。
同期の中村の実家は、飛騨牛を取り扱うお肉屋さんです。
是非、中村家のお肉でBBQがしたい!
そう思い続けること1年。夢が叶いました。

 

中村家が用意してくれたお肉は、
それはそれは、たいそう美味しゅうございました。
フレンチのコースで、ナイフとフォークを使ってお上品に食べるようなお肉を、
箸でかぶりつく。一口で食べる。最高でした。

 

そしてその夜は、そんな幸せが詰まった胃袋をギュッと帯で締めて浴衣を着て、
長良川で行われる鵜飼を見るため、納涼船に乗りました。
池尾も私も、初めて見る鵜飼に興味津々。

 

ここで、納涼船の添乗員さんから聞いた鵜飼の話を
皆様にも共有させていただきます。

 

鵜飼は、鵜を使って鮎などの魚を獲る漁法のひとつです。

 

鵜飼の際、鵜は空腹の状態です。
空腹を満たすために、鵜は魚を吞み込むのですが、
鵜の首に巻かれた紐に魚が引っかかるため、
一定以上の大きさ(太さ)の魚は喉を通り抜けずに溜まっていきます。
2.3匹溜まると、鵜匠さんによって船の上へ引き上げられ、
魚を吐き出すことになります。
鵜は鵜飼が終わったあとに、初めて餌がもらえるのですが、
それが1日の最初で最後の食事なのだそうです。

 

とは言っても、毎日餌にありつける鵜飼の鵜の寿命は、
自然界の鵜の寿命が10年なのに対し、20年〜30年にも伸びるそうです。
健康診断も毎年2回受けるそうですよ。

 

鵜の仕事ぶりにも感動しましたが、
メラメラ燃える炎の間近でお仕事をする
鵜匠さんたちが非常にかっこよかったです。

 

浴衣を着て、納涼船から鵜飼を眺める…
非日常的なゆっくりとした時間が流れ、良い休日となりました。

 

BBQ、浴衣、納涼船、鵜飼。
同期と素敵な夏の思い出を作ることができた岐阜旅でした。

 

暑い日はまだ続きそうですので、皆様お身体ご自愛ください。
 

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すごいぞポンペイ 2016年09月09日

こんにちは、歯ブラシ担当の櫻井です。
先日、ハネムーンでイタリアに行ってきました。

 

以前からイタリアには興味がありました。イタリアは古代ローマ帝国を築いた国であり、

ルネッサンスが興った国でもあります。西洋史のパラダイムシフトを作る国です。

ピザとナンパだけじゃない(笑)。

 

そんな訳で歴史的に面白い所をたくさん訪れたのですが、

その中でもビックリ仰天したのがポンペイです。

 

ポンペイに人が住み始めたのは紀元前7世紀、ポンペイがローマ支配化に入ったのが紀元前89年です。ローマ支配化に入ってから急速に発展したのですが、紀元後79年に近くの山が噴火して、街は一晩で火山灰に埋まってしまいました。戦争や地震で破壊されたわけではなく、ただ灰に埋まっただけなので、今でも街がそのまま残っているんです。

 

そんなポンペイの発展にビックリ仰天!!
酒場は、ワインを貯める壺がカウンターに埋まっています。
 

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劇場は、全席から見やすいようにすり鉢状に作られています。
 

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銭湯は、待合所・脱衣所・水風呂・熱い風呂・プールまであります。
無料か無料同然の価格で楽しめたそうです。
 

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当時の人々は午前中は働き、午後は上記のような娯楽施設で過ごしたそうです。紀元前後の街で、娯楽がこんなに充実しているんですよ!!

 

その頃、われら日本は弥生時代です。日本史に現れる最初の人物である卑弥呼でさえ紀元後200年です。そう考えると、ポンペイってめちゃめちゃスゴイと思いませんか?

 

当時の暮らしに想いを馳せながらの散策はとても面白かったです。こんなに楽しそうな街なら、私も住んでみたかったなぁ。

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うなぎ 2016年08月09日

先日京都で羽化したてのセミを発見し、夏の始まりをしみじみと感じた新入社員の廣政です。

 

やっと梅雨も明け、夜の暑さとセミの鳴き声に悩まされる時期がやってきました。夏の食欲のなくなる時期に食べたいものといえば・・・ビール片手に枝豆? 冷たいそうめん? いやこんな時こそ、スパイシーなカレー?いえ、やっぱりあの香ばしい香りとしょうゆのタレ・・・うなぎの蒲焼。想像するだけで食欲がわいてきます。

 

私は大学院時代の2年間、うなぎがメインの割烹でアルバイトをしていました。大将が炭火で焼くうなぎは絶品です。しかし近年、うなぎの価格がどんどん上がり、若者にはとても手の出ない値段になってしまいました。
皆様は、価格上昇の理由をご存知ですか?
今回はうなぎの不思議5つを紹介しつつ、価格高騰の理由をお話ししたいと思います。
うなぎはとーーーっても謎に包まれた生物なのです!

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①うなぎは人類と長い付き合いの魚
日本で最初にうなぎに関する記述が見られるのは奈良時代の万葉集だそうです。そのころから食用されていたと言われています。うなぎを今のようにタレにつけて食べるようになったのは、濃い口醤油が普及した江戸時代だそうです。

ヨーロッパでは2400年前のギリシャ時代から研究されている魚です。
かのアリストテレスも研究していたそうです。

 

②うなぎの出身地ははるか遠い海
長い付き合いにもかかわらず、日本うなぎの産卵地が解明されたのは2006年とつい最近です。その地はサイパンやグアムの近辺であるマリアナ海嶺でした。解明したのは日本の学者さん達です。
孵化したうなぎはサイパンやグアムから黒潮にのって日本にやってきます。

 

③うなぎの養殖は完全養殖じゃない?
長らく産卵地帯が不明だったことから、うなぎの養殖は卵を人工孵化させる養殖でなく、稚魚を捕獲して早く大きく育てるという養殖が一般的です。2010年に完全に人工で卵を孵化させることに成功した研究チームがいますが、時間と費用がかかるために、商業化には時間がかかるそうです。

 

④日本人が世界のうなぎを食べ尽くす?
ということで、うなぎの養殖には稚魚が必要です。日本人のうなぎの消費量は世界全体の消費量の70%で、ほぼすべてが養殖うなぎです。日本での稚魚の捕獲数は年々減少しており、中国や台湾から稚魚を輸入しています。
そして、日本の稚魚の需要が高まったことから、中国や台湾では稚魚の乱獲が横行しました。ヨーロッパを中心に生息しているヨーロッパうなぎも、稚魚を中国で養殖し日本へ輸出するビジネスが拡大したため、乱獲が横行し、世界全体の稚魚の数は減少しました。
日本人が世界のうなぎを食べつくしていると言っても過言ではありません。稚魚の価格は10年で数十倍になってるといいます。

 

⑤世界のうなぎ料理
とはいえ、うなぎを食べるのは日本人だけではありません。世界にはさまざまなうなぎ料理が存在します。
私が一時期滞在していたドイツの海岸沿いのハンブルグでは、うなぎをバターでソテーしてクリームソースをかけた料理が名物でしたし、燻製なんかもポピュラーです。冷えた白ワインに良く合います。
また、私のルームメートの出身地韓国ではチャンオグイという料理があり、うなぎをコチュジャンのようなタレにつけ、焼き、サンチュに巻いて食べるそうです。
スペインとフランスの国境地帯のバスク地方ではうなぎの稚魚をオイル煮にして食べる料理も存在します。しかし先述の稚魚の減少のせいで、今では100グラム1万円もすることがあるとか。最近では“うなぎの稚魚もどき”で作ることもあるようです。

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このように、うなぎは不思議だけど、人類ととても関わりの深い生き物なんですね。私達の営みは常に自然に支えられているんだなと感じます。常に感謝していろいろなものを食べたいです。

 

ちなみに私が学生時代を過ごした京都では、あんころもちを土用餅といって食べます。これは小豆が夏ばてにいいからだとか。日本各地には、丑の日にうなぎ以外のものを食べる風習もあるんですね。
今年は愛知県で迎える初の夏、奮発してひつまぶしでも食べに行こうかな。
 

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2016年5月Vol.46 2016年08月02日

こんにちは、サクっと小噺のサクライです。先月はベールをあげたまま入場してしまった結婚式について書き
ましたが、今月はその続きを書きたいと思います。

 

結婚式は家族だけで行いました(参列者8名)。テーマは「お父さんお母さんありがとう」の1つだけです。
こだわったのはドレスよりも指輪よりも、料理と引き出物と両親への手紙。私と主人は感謝を込めて、ささやかながら温かい式を用意したつもりでした。しかし、式を感動的に仕上げたのは、私達ではなく家族の方でした。

 

私の両親が、中島みゆきさんの「糸」を演奏してくれたんです。
手作りの歌詞カードを配って、新郎側の家族も新郎新婦も巻き込んで、皆で合唱が始まりました。

 

なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語

 

私と主人は共通の友人もいないし、出身も違うし、仕事での関わりもありません。あるカフェでたまたま隣に座った、それだけなのです。なぜ逢うのか、いつ逢うのか、想像もしていませんでした。中島みゆきさんの歌詞が心に沁みます。

 

私の両親は30年以上アマチュアオーケストラで演奏しているので、私も赤子の頃から二人が奏でる音を聴いて育ちました。留学中にホームシックにかかった時も、家族の写真を見るよりクラシック音楽を聴く方が落ち着くくらい、私の中で両親と音楽は結びついています。そんな両親の演奏は最大級の「おめでとう」に聞こえて・・・涙が止まりませんでした。両親への手紙で泣かせてやろうと意気込んでいたのに、むしろ私の方が泣かされてしまいました。

 

小さな式場で、父と母の演奏にのせて歌った「糸」は、今も心の奥底に残っています。
とても温かい、幸せな時間でした。

 

──さて。式のあとレストランの個室で会食を開いたのですが、私の母は食事中に寝ました。ウトウトではなく本気で寝ました。義父は「演奏が終わってほっとしたんだろう」と言っていましたが(そう思わなければ受け入れられないですよね)、私は知っています。演奏のあるなしに関わらず、母はいつも食べたら寝るんです。家でも外でも寝るんです。娘の結婚式でも、いつもどおり食べたから寝ただけです。う~ん、大物だなぁ。
 

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バトントワリング 2016年08月01日

こんにちは。総務の中村です。
暑い日が続いていますね。暑いのが苦手な私には大変な季節がやってきました。
そんな私も学生時代はバトントワリング部に所属し、この季節は汗を流しながら練習に明け暮れていました。
 

今回は、そんなバトントワリングについてご紹介します。

 

皆さんはバトントワリングと聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
よくチアみたいなもの?とか新体操?とか聞かれるのですが、柔軟性が必要なことや手具を使用することは同じですが、それぞれ別の競技なんです。

英語で「棒を回す」という意味のあるバトントワリングですが、お祭りやアニメなどでバトンを回している姿を見たことがある方もいるかもしれません。
スカートやキラキラの衣装で踊ることもあり、見た目華やかな競技ですが、スポーツ競技としてのバトントワリング(スポーツバトン)も盛んです(このときはレオタードを着ることが多いです)。

スポーツバトンとは、屋内の競技フロアで音楽のリズムに合わせて演技をし、バトンの技術と芸術性を組み合わせたもので、技は大きく分けると3つに分けることができます。

・バトンを高く放り投げ、落ちてくる間にスピンや宙返りなどをしてキャッチする技
・バトンを身体の近くで回転させたり、指などを使って回す技
・バトンを手で握らず首や腕など身体の一部を転がす技

つまり、アクロバティックな動きと繊細な動きが合わさった振り付けとなっていることが多いのです。見た目華やかなバトントワリングですが、練習で何度も失敗を重ねて、技術を自分のものにしていきます。バトンは長さなどにもよりますが200g~300g程あるので、取りそこなったりすると結構痛い衝撃が体に走ります。

私の場合、新しい技を練習していたときは、日々あざが増えるのは当たり前でした。
そんな痛い思い出もありますが、夏に毎日部活の仲間たちと練習をした青春の思い出がバトンには詰まっています。

野球やサッカー程、メジャーな競技ではありませんが、世界大会も開催されており多くの日本人バトントワラー(バトン選手)が活躍しています。皆さんもお時間があれば、動画投稿サイトなどでバトン演技が沢山上げられているので、是非見ていただくとバトンの魅力がもっと伝わるかもしれません
 

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憧れのペット 2016年07月28日

コールセンターに配属となりました、新入社員の廣瀬です。
配属され2週間目、日々の業務に懸命に楽しく取り組んでいます。

 

そんな私が今回書かせていただくのは、(きっと)皆さんも大好きな馬について・・・

 

私が馬を好きになったのは、高校生の時ケンタッキー州という田舎町にホームステイした時のこと。そこでできた友人が馬をペットとして飼っていたのでした。あんなにも大きくてカッコイイ見た目をしているのに、なんて人懐っこくて可愛いのでしょう。
「馬をペットとして飼えるなんて・・・素敵!!」
そう思った日から、私の夢は馬をペットとして飼うことです。

 

馬の大きさは
大きいもので体高170〜180cm・体重800〜1000kg
小さいもので体高80〜100cm・体重30〜100kg
寿命は平均25~30年。
彼らは人間でいう中指だけで立っていて、他の指は退化して、代わりに中指の爪が進化して蹄になったのだとか。

 

馬は草食動物ですから、視野が広いです。
馬の目ってどれくらいの角度まで見ることができるかご存知でしたか?
彼らは350°も見られるそうで、しかも左右の目で別々のものを見ることができるのです。
左右の目で別々のものを見るって・・・どんな世界なのか想像がつきません。

 

そして彼らは鼻が利くそうで、匂いで主人や家をかぎ分けられるため帰巣本能も持ち合わせているのだとか。要するに懐いてくれる・・・なんて可愛い。

 

最後に、馬の耳はレーダー並みに敏感なのです。だからとっても臆病者。
彼らの周りでは、大きい音を立てることは避けてあげたいですね。

 

では、このあたりで大好きな馬の紹介を終わります。
今度、乗馬体験に行こうと思っているので、次回のブログでは体験談を書こうと思います。

 

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ピーディーアールの暑中見舞い 2016 ノーカット版 2016年07月26日

毎日暑い日が続きますね。
ピーディーアール 石膏担当の宮田です。

 

先日、私どもからお客様へ暑中見舞いはがきを投函いたしました。
今年の年賀状の時もブログに書いたように、弊社の年賀状や暑中見舞は、社長の仲谷がその時々の思いのたけを書き綴っています。

「そろそろ暑中見舞いの原稿をお願いします」と声をかけて1週間後。
「ホントはもっとたくさんのエピソードをAさんから聞いてるんだけどね」という言葉と共に、原稿が私の手元にやってきました。十分はがきに入りきらないボリュームですが、それでもなんだか今回は短い!

 

・・・前回の年賀状のときに、私が長い長いってブログで言ったからかな・・・

仲谷から編集する私への思いやり?を感じながら、それでも半分以下に削った文章をはがきに載せました。今回も皆様にノーカット版を公開したいと思います。
ぜひご覧ください。

 

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暑中お見舞い申し上げます。
Aさんが元気な親戚の話をしてくれました。
Aさんが、母(75歳)とその兄弟との1泊2日旅行に同行したときのことです。
母は4人兄弟の末っ子。参加メンバーはAさん、Aさんの父(82歳)と母(75歳)、Aさんの伯父Bさん(85歳)、伯父の妻(83歳)、伯母Cさん(91歳)、伯母Dさん(81歳)。
総勢7名、合計549歳の大人の遠足です。

 

旅程や宿や観光を選定した85歳のBさんが運転する車で、3時間かけて旅先の旅館へ。
そして温泉にも入り夕食の時間。
Aさん“これ初物だから、初物は長生きにいいから食べましょうね。”
Cさん、Dさん“もうこれ以上は別に長生きせんでもいいわ(笑)、それよりこんなに食べきれんわ。”
いろんな話を笑いながらして、食事が終わってみれば全員完食。
Aさん“私は食べきるの大変だったけど大丈夫?”
皆さん“もうちょっとなら食べられるけど、このくらいがちょうどいいね。食べすぎは体に悪いでね(笑)。”

 

次の日の観光スポットで。
Aさん“みんなで写真撮ろー。”
Cさんは手押し車を押しながら、皆もゆっくり歩いて集まります。
Dさん“それ(手押し車)ええねー。”
Cさん“ええやろ、息子に買ってもらったんや、お金は自分で払ったけど(笑)。”
Dさん“私も買ってもらおう、お金は自分で払うけど(笑)。”
写真を撮り終わったところで。
Dさん“Aちゃん、私の遺影用にええ写真とってよ。”
Aさん“まだまだ用意せんでもいいけど、綺麗なうちにいい写真とっとこか(笑)。”
撮影が終わったら
Cさん“Aちゃん、忘れとった!私はマイナンバー用の写真とってーな。”
Aさん“マイナンバー用? 私も用意してないけど、いいねー、撮ろう(笑)。”

 

Aさんは、母にも父にも伯父にも伯母にも喜ばれて、いい親孝行ができた、と喜んでました。
お年寄りのペースは遅いし、それぞれ違うけど、それを受け入れちゃうと結構面白いよ、とも楽しそうに話してました。

 

私は57歳です
元気な先輩方の話を聞いて力が湧いてきました。
若かろうが年寄りだろうが、外へ出たり、食べたり、しゃべったり、元気って本当にありがたいです。
 

まだまだ暑いですが、元気に暑さを乗り切りたいと思ってます。

皆様もどうぞご自愛ください。

 

PDR 仲谷公司

 

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37年後の卒業式 2016年07月21日

こんにちは。本日は趙航がお送りします。

 

叔父が先月仕事を引退しました。62歳です。叔父は田舎で小さなクリニックを開業していたので、会社で定められた定年はありませんが、目が悪くなりCTの写真が良く見えなくなったということで、62歳の誕生日で引退すると決めたそうです。(ちなみに、中国では男性が60歳、女性は55歳で定年です。)

 

私が小学生のときに、叔父の家で過ごした夏休みは最高でした。
叔父が壊れた網戸の網をはずしてくれて、それを持って従妹と一緒に近くの川に魚を捕まえに行ったり。叔父と一緒に山へ遊びに行き、落ちている動物の糞を見つけたときは、それが馬のなのか、羊のなのか、牛のなのかを教えてくれたり。

都会のマンションで暮らしていた子供の私にとって、叔父は何でも知っていて、何でも出来るすごい人でした。
そして迎えた退職の日に、叔父が家族にメールで送った一言。
「37年間、仕事を通じてたくさん勉強させていただいた。今日は卒業式。これからはどうなるか、楽しみにしている。」

叔父なら、きっと引退後も楽しく、かっこよく過ごせると思います。
お祝いは、何にしようかなぁ~
 

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