「私は空海になりたい」

こんにちは、商品企画部の櫻井です。
この前、制作部の竹内に「わたし空海になりたいんですよ」と言ったら、
「なんじゃそりゃ?ブログに書いてやろう」と言われました。
竹内がブログに書くのは構いませんが、彼が正確に伝えてくれるとは思えないので(笑)、今日はその注釈をします。

 

20130614.jpgのサムネール画像

 

空海は坊さんですが、元祖の仏教とは少し違う考え方をしました。
ものすっごく簡略化すると、元祖の仏教が「全ての物事は移り変わる。
結局のところ全ては無である。だから執着するな」と言ったのに対し、空海は「全ての物事は移り変わる。結局のところ全て繋がっているのである。だから全て、それで良いのである」と言ったんです。

 

例を出しましょう。セックスの話です。
「また櫻井がエロい話してるよ」と思わないでください。
古今東西、いつでもどこでも人間はセックスに魅かれ、苦しみ、悩んできたので、セックスはどんな宗教においても大事なテーマなんです。また、元祖仏教と空海の比較をする上では、わかりやすい違いなんです。

 

元祖仏教が「セックスで恍惚感を得ても、終わった後は虚しい。
体の快感も心の満足もすぐに消えるものだ。全て無だよ」と言ったのに対し、「セックスの恍惚感は真理だよ。終わった後の虚しさも真理だよ。相反する事実が表裏一体でしょう、つまり全てが無であり全て真実って事だよ。だからソレで良いのだよ」と言ったのが空海です。

 

空海にとって、宇宙の物事はすべて繋がっているんです。
善もない。悪もない。自己もない。他者もない。
全てを同一と感じ、全てを「良し」と受け入れるって事です。

 

こんな風に感じられたら、どれほど幸せだろうと思います。
自己と他者の区別がなければ、嫉妬も嘲りもないでしょう。
自己と物事の区別がなければ、欲望も執着もないでしょう。
きっとそこにあるのは、どこまでも穏やかな一体感だけです。

 

理屈はわかります。でも、私はそれを感じ取る事ができません。
一瞬一瞬、宇宙と共鳴しているを生を感じ取れる空海は、とても幸せだった事でしょう。

 

ところで、私はめったに他人になりたいと思いません。
自分に不満はあるけど、自分の周りの人達が好きなので、彼らと一緒にいられるなら、私は私のままでいたいです。でも! 空海になれるなら、今の自分を捨ててもいいなぁと思います。空海になれば、周りの人も何もあったもんじゃありません。
全てが1つなんだから。
誰かと一緒にいるとか、別れるとか、そーゆー問題は消滅するんです。

 

出家して空海に近づけば?―とんでもない、彼は天才です。
たぶん日本史上で一番の天才です。
私が何をしたところで、1ミリだって近づけるもんですか。

 

私はこれからも無知ゆえの苦しみを続けるのです。
売上を上げようともがいたり、恋人と喧嘩して怒ったりするんです。
自己嫌悪に陥ったり自己満足に浸ったりするんです。
そんな俗な生活の中でフと、空海に焦がれるだけでいいんです。

 

―以上、大学で宗教学を専攻していた櫻井でした。