おかえり、おばあちゃん

キュウリに乗って7カ月ぶりの帰宅を果たしたおばあちゃんは、ナスに乗って再び西方浄土へ戻って行きました。浄土宗の家庭に生まれ育った、コミュニケーションセンターの神戸です。

 
小さい頃は祖父母の昔話に付き合わされるのは面倒この上ありませんでしたが、最近になってとみに「もっと話を聞いておけばよかった…」と思います。父方の祖父は何故か兵役を免れ地元の陸軍工廠で工員として働き、空襲と終戦のドサクサに紛れて工廠の工作機械を持ち出して町工場を開いたそうです。その町工場は今でも従兄弟が3代目として守り続けています。
 
母方の祖父は7年ほど中国へ出征しており(どこにいたのかは分かりません)、終戦後もしばらく抑留され、帰国はずいぶん後になったとか。かなり過酷な環境にあったのか、あまり従軍経験について語ることはありませんでした。ちなみに祖父の2人の兄弟は戦場で命を落としています。
 
「もっと祖父母孝行をしておけば…」、とか「戦争ダメ、ゼッタイ!」みたいな話ではなく、ある程度の齢を重ねて、ようやく面白さが分かるようになった祖父母の話を詳しく聞けず終いだったことが悔やまれます。祖父の話はもちろん、家を守っていた祖母の話にも混乱期ならではの「マジかよ話」がてんこ盛りだったはずです。ああもったいない。
 
こないだ行ったジャズクラブで隣りに座っていた老人は、帝国陸軍軍楽隊払下げの楽器を手に占領軍の駐屯地へ演奏に行き、パーティを盛り上げていたとか。大して腕は良くなくとも、かなりいいお金になったそうです。「1晩のギャラがゲーヒャク(500のこと、単位は不明)」とか言ったような。現在価値はいくらなんでしょう。
 
同じ話を繰り返したり、あることないこと誇張されたりすることもありますが、我々が現代で絶対体験できないような経験の話は、やはり興味深いものです。空襲も配給も、私には教科書の中だけの話ですから。ほんの60年前、日本はまだ独立国でなかったなど夢のようです。
時代の記憶を引き継ぐことは、やっておくとちょいと良いことですよね。