私を作る人たち

こんにちは。本日のブログは入社1年目の櫻井が担当いたします。

「自分って何だろう」―という事を考えますか?
私はよく考えます。アウストラロピテクスから進化してきた生物だ、社会的存在だ、罪深き生き物だ、神の僕だ、自己実現を目指す主体的存在だ―・・・。それぞれの方に、それぞれの定義があるでしょう。私は、“今まで関わってきた人達の集合体”だと思っています。私は、私一人で出来ているわけではありません。周囲の人達から影響を受けて、その影響ゆえに常に変化しながら存在しています。私の自分像は、確固と自立したイメージではなく、ユラユラと流動的なイメージです。

 

例えば、小学生の時に仲良しだったマユちゃん。彼女の家で遊んでいた時の話です。彼女のお母様がお友達を連れて帰ってきました。マユちゃんはごく自然に台所へ行き、湯を沸かし、コーヒーを作って出していました。いい香りを嗅ぎながら「かっこいい」と彼女に憧れたんです。その日帰ってすぐ「作り方教えて!コーヒーはこれから私が淹れる!」と母に宣言したのを覚えています。コーヒーを飲めるようになる前に、淹れられるようになりました。
例えば、今なら上司の谷川(ページ右の、ハラジョー【番外編】谷川あかねの場合、の人です)。谷川に会うまで、デキル人=ナイフのように鋭く、一人で何でもこなす人だと思っていました。しかし、彼女を見ていて「デキル人は太陽のように暖かく、皆を巻き込んで働く人だ」と気付きました。マネしようと思ってマネできる力ではありません。でも少しでも近づきたくて、「笑顔と挨拶はちゃんとしよう。人を巻き込めるように、仕事の状況は意識して発信しよう」と心がけています。マユちゃんも谷川も、私を変えた一例です。

 

そのように考えると、実に沢山の人達に私を作っていただいているわけですが…私の根幹を作ったのは間違いなく父です。「ルールを無条件に受け入れるな。エライ人の言う事を鵜呑みにするな。自分の頭で考えて、自分の言葉で話しなさい。」「自分の頭で考える事が出来るように、いろんな視点を学びなさい。真実は多面的なものだから。」「凡人が多くの視点を学ぶ、一番いい方法は経験だよ。たくさん本を読みなさい。いろんな所に行って、いろんな人の話を聞きなさい。」小学生の時から高校を卒業するまで、こういった事を繰り返し言われました。私は英語もできないくせに海外の大学に入学を決めたのですが、私を送り出す際、父が伝えてくれた言葉は忘れられません。「僕は今まで、君を“展望を切り開く事ができる人”にしようと育ててきた。状況を変えられる人って事だよ。まだ不十分だけど、ここまでよく頑張った。一人で外国に行っても大丈夫だよ。」こんな人に育てられた―これは私の財産です。壁にぶちあたったとき、「私はあの父に育てられた」と思うと、何とかなる気がします。

 

意識してマネした人、無意識のうちに影響を受けた人、憧れをもって接した人、どうしてもウマが合わない人―、どんな人でも何らかの形で私に刺激を与えます。その度に“私”が少し変わります。「自分って何かな」と考えると、沢山の人達がうかんでくるんです。仲のいい家族、小学生のときに憧れた友達、中学生のときに苦しんだ子供なりの派閥、高校生のときにつるんだ個性の強い仲間、大学生のときに本をかじるように一緒に勉強した同専攻の学生、リュック一つで放浪の旅をした時に出会ったヒッピー達、P.D.R.で共に働くスタッフ…。“私”は、これらの人達全員です。「自分が嫌いだ!」とへこむ事はよくあります。そんな時に「私は今まで関わった人達の集合体だ」と考えると、「そんなに嫌いじゃないな」と思えます(笑)。そんな人達と関わる人生を送っている私は運がいいです。

 

これからも、“私”を作るのは、私が出会う皆さんです。どうぞよろしくお願い致します。