2013年7月号Vol.13

こんにちは、サクライです(つい先日26才になりました)。私の母はヒドイ人です(48才)。
彼女の心ない一言に、私はずっと傷つけられてきました。

 

私が小学校低学年の頃、母はヤクルトスワローズの大ファンでした。
野村監督と古田選手の黄金時代です。TVの前で一人、ビール片手に大騒ぎの母。その後ろで学校の話をする私。
「あのね、今日ね、国語の時間にね・・・」  しかし母は上の空。

私 「・・・ねぇお母さん、私とヤクルト、どっちが大事?」
母 (間髪いれず)「ヤクルト!!!」

 

あまりのショックに、物も言わず子供部屋に駆け込んで、布団の中で泣きました。1時間後、母が私の部屋にやってきます。布団にもぐりこみ、後ろから私を抱きしめ、「嘘だよ、アンタの方が大事だよ」と酒臭い息を吐く母。しかし私は知っています。いま野球中継が終わったのだという事を。

 

十数年後、私はひどい花粉症になりました。スギ花粉が舞う季節になると、目はショボショボ、鼻はズルズル、くしゅんくしゅんが止まりません。しかし花粉症のない母は、春がくると山へ行きたがります。

 

母「ねぇねぇ、暖かくなってきたから山の温泉宿に行こうよ」
私「いま山に行くなんて自殺行為だ! 留守番してるから3人(両親&妹)で行ってきて」
母「白けるようなこと言わないの。行ってみなきゃわからないでしょ」
私「行かなくてもわかるっ!!」

 

しかし結局、強引に連れて行かれます。スギ山に近づくにつれて、くしゃみが激しくなる私。

母「情けないなぁ・・・。根性足りないんじゃないの?」

 

さて、スギ山の奥深くにひっそりと佇む温泉宿に着きました。ダッシュで温泉にかけこみ、目鼻を洗い、花粉を落とします。スギに何重にも囲まれたこの宿で、私の安楽の地は風呂場だけです。

 

母「ねぇ、お風呂でたら散歩に行こう♪」
私「とてもムリ。お父さんと行っておいでよ」
母「・・・アンタと旅行してもつまんないなぁ(超不機嫌)」

 

これが私の母です。娘の気持ちも事情も考えない、本当にヒドイ母です。
しかし―・・・私は母に感謝しています。昔から、彼女は子供の考えを尊重してくれました。私の偏差値からは無謀な高校を目指そうが、英語が赤点なのにカナダの大学に進もうが、東京の大企業を断わって名古屋の中小企業に入ろうが(P.D.R.のことです。そして実家は埼玉です)、一切反対しません。
「アナタが決めた事なら正解でしょう」の一言です。おかげで、幼い頃から「私は母に信頼されている」という実感があって、それが大きな自信になっていました。

 

子供を管理しないため、よく周りから「母親が放任主義だと、子供はしっかりするのねぇ(笑)」と言われていましたが、彼女はけして放任主義ではありません。たとえば中学生の頃、子供ながらに人間関係に疲れた私は登校拒否に陥りました。その時、母は責めもせず、理由を問いただしもせず、「じゃあ映画いこっか♪」とウォーターボーイズの映画に連れて行ってくれました。数週間後、何がきっかけで学校に復帰したのかは覚えていませんが、あの時に母が映画に連れて行ってくれた事と、そこで大笑いした事は覚えています。
強制しない、管理しない、でも放置じゃない。子供を好きにさせながら見守っているのが、私の母です。

 

「母親じゃなかったら、絶対こんなヤツと付き合わない」と思う反面、「この人がお母さんでよかった」とも思います。―そんな母と、お盆は2人でチェンマイ(タイ北部の町)に行ってきます。