サクのサクッと小噺
STAFF BLOG

2022年6月Vol.111 サクッと小噺 2022年10月11日

 ※小噺は過去分を随時アップしております。内容に時差がある場合もありますが、是非ご覧ください。

こんにちは、サクッと小噺のサクです。皆さま今年の大河ドラマはご覧になっていますか?
さすが三谷幸喜、面白いですねぇ。武士の生き様を見ていると、「同じ人間でも、今とは価値観がぜんぜん違う!」と驚くことが多々あります。たとえば、源頼朝は父の仇である平家を滅亡させますが、彼のお父さん(源義朝)を討った平清盛はすでに世を去っているわけです。お父さんを討った張本人はもういないけど、そいつの一族郎党を根絶やしにするまで気が済まないなんて、我々には理解しがたい感情です。壇ノ浦の戦いで、平家一門が女子供も含めて全員で入水するシーンではやるせない気持ちになりました。ところが、私自身の中にも、頼朝と同じように「一族郎党が憎い」という復讐心があることに最近気がつきました。相手は蚊です。
私は子供の頃とても蚊に刺されやすくて、夏になると水ぼうそうと見間違うほどよく刺されていました。友達からは「サクと一緒にいると蚊に刺されない」と言われるほど、本来は彼女達が刺されるべき分まで、一手に引き受けて刺されていました。夜の就寝中も、家族の中で私だけが刺されて、深夜に痒みで目が覚めて一人悲しくキンカンを塗っていました。大人になってからは以前ほど刺されなくなりましたが、それでも夫に「キミが隣にいてくれると、僕は虫よけスプレーをする必要がない」と言われる程度には、蚊を集めてしまいます。


このような事情により、私は蚊への怨念を募らせていきました。私の血を吸った蚊だけではなく、すべての蚊が憎いです。血を吸うのは出産前にタンパク質を必要としているメスだけと知りましたが、それでもなお、「出産のためなら血をあげる」と思うより、「つまり血を吸った蚊を逃したら大量のボウフラが産まれるという事だな、なおさら生かしてはおけん!」と思います。今では蚊が寄ってきたら、追い払うよりもあえて肌を差し出して蚊がとまるのを待つようになりました。針を皮下まで差し込んでいる蚊はとっさに飛び立つことができません。逃げようとしても、針を抜く作業が必要なのでどうしてもワンテンポ遅れます。


私はその瞬間を狙っているのです。蚊が寄ってくる、腕を差し出す、蚊がとまる、針が挿入されたのを確認して、
パチン! この方法では痒くなるからイヤ〜と思われるかもしれませんが、痒くなる原因は、蚊が針の先から注入する唾液です。蚊が針を挿入してから、唾液を注入される前に叩けば、痒くなる事はありません。


寄ってこない蚊に対しても私は厳しいです。オス、つまり血を吸わないとしても、オスがいるからメスが妊娠して
血を吸いにくるのです。だからオスにも容赦はしません。蚊に対して私のセンサーは非常に発達していて、見つけるのも早いし仕留めるのも早いです。蚊が壁にとまっていても、空気中を飛んでいても、すぐ見つけるし、仕事中でも、食事中でも、育児中でも、見つけたら

99.9%仕留めます。運動神経も動体視力も空間把握能力も平均以下なのに、どうして蚊に対してだけこれほど俊敏に動けるのか不思議だ、とよく夫に言われます。


自分でも不思議ですが、私は蚊を見つけると、周囲の音や景色がスッと遠のいて、蚊だけがリアルな存在感を放って
くるのを感じます。蚊と私だけの静謐な世界で、羽音までが聞こえてくるようです。ここまでくると蚊が苦悩なのか生き甲斐なのかよく分かりませんが、とにかく蚊は大っきらい、滅びてしまえ、と心底思うのです。
自分が受けた被害は「かゆい」だけなのに、種族ごと滅ぼしたいと思うなんて、私は残酷です。


お釈迦様なら「人の命も虫の命も等しく尊い」とおっしゃるでしょう。
でも私は、蚊の命より自分が痒くならないほうが大事なのです。ひどいですね。
頼朝もそんな気持ちだったのかな…と思いながら大河ドラマを楽しむ今日この頃です。

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2022年5月Vol.110 サクッと小噺 2022年09月12日

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こんにちは、サクッと小噺のサクです。そろそろ梅雨の足音が聞こえてきますね。 私は、天気の良い日は息子の保育園の送迎を自転車で行っているのですが、雨の日は12kgの息子を背負って、 おひるね用のお布団を肩にかけて歩いて行くので、すこし憂鬱です。服や布団が濡れると気持ち悪いですもんね。 カエルは雨の日も気楽でいいなぁ。

さて、半年ほど前、私にとってカエルはちょっと特別な生き物になりました。当時1才 6ヶ月だった息子が、 生まれて初めて(少なくとも私が気づいた限りでは初めて)、なにかを象徴的に理解した対象が、カエルだったんです。

息子は数冊の絵本を持っていて、そのうちの2冊に雰囲気の違うカエルが登場します。 ある夜、私はいつものように絵本の読み聞かせをしていました。お話が進んで、カエルがでてきた途端、 息子は立ち上がって、カエルがでてくるもう1つの絵本を取りに行ったのです。そしてカエルのページを 開いて、2冊のカエルを交互に指差しながら、「ねっ!ねっ!」と同意を求めてきます。 片方は濃い緑で片方は黄緑色なので色合いが違うし、片方はカエルらしくM字開脚で 片方は人間のように立っているからデフォルメの仕方も違うのに、 どちらも同じカエルとして理解している様子です。 親のほうから「両方ともカエルだよ」と教えた事はありません。 息子は、なにをもって、「カエル」を理解したのでしょうか。

翌日、図書館で家にある本とはまったく雰囲気の異なるカエルの絵本を借りてきました。 家にある2冊の絵本のカエルは裸でぴょんぴょん飛ぶ単純なかんじですが、 図書館から借りてきたのは、服を着て手紙を書いて悩んだりするアンニュイな雰囲気の カエルです。それを息子に見せてみると、「おー」と言いながら自分の2冊の絵本を出してきて、 やはりカエルのページを開きます。ここにきて私は確信しました。彼は初めて見る物でも、 彼にとって既知の情報と結びつけて理解していることを。 つまり、「物事を抽象的に認識できる=個々の事物から共通の属性を抜き出して 一般的な概念をとらえることができる」ということです。 おぉ我が子よ!まだママもパパも何も言えないくせに、なんと高度な思考を成していることか!

思考が発達していく様子を見るのは面白いです。息子もそのうち、カエルではなく友情や恋愛や仕事に関しても 「抽象的概念」と「一般的事例」を結びつけて考えられるようになるのかな。楽しみです。

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2022年4月Vol.109 サクッと小噺 2022年08月26日

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あまり知られていませんが、5 月 5日は「国際助産師の日」です。 2 年前に私は出産をしました。当時を思い出すと、陣痛よりも赤ちゃんよりも、助産師さんを思い出します。 私が若いときに出産していたら (17 才くらい )、将来は助産師を目指しただろうと思うほど感動しました。

私のお腹の中で、ヘソの尾がネジれていました。お医者様いわく「この程度のネジれならよっぽど大丈夫だけど、 胎児が産道を通るときに酸素不足になる可能性がある。既に 3000g を越えているので外界に出てきても問題ないし、 あんまり大きくなっても出るとき大変だし、もう陣痛促進剤を打って胎児を呼び出そうか」となりました。 陣痛促進剤は点滴で投与されます。投与が始まってすぐ陣痛はきたのですが、胎児がまったく降りてきません。 陣痛も、痛いことは痛いけれど、理性が保てる程度の痛みです。これが 2日半続きました。1日目、2日目、3日目、 それぞれ違う助産師さんが病室に来て「サクさんの今日の担当は私だよー。赤ちゃん出ておいでー」とお腹をなでて くれましたが、1日目と 2日目は陣痛が本格化しなかったので、助産師さんも私につきっきりになる事はなく、 たまに私の様子を見に来つつ、他のお仕事を進めていました。そして 3日目の正午に痛みが強くなりました。 下半身が左右に割れて、胎児が旋回を始めたのが分かります。痛みで腰がくだけます。3日目の助産師さんが、 つきっきりで腰をさすってくれます。   
サ「ありがとうございます。すみません。」   
助「いえいえ、ようやく赤ちゃんが降り始めて良かった」   
サ「ずっと腰をさすっていただいて…。今日のお仕事が進みませんよね…」   
助「いやコレが仕事だから(笑)」

自然分娩や緊急帝王切開はいつ何が起こるか予定が立ちません。1日目と 2日目に担当してくれた助産師さんは、 私の陣痛が本格化しないので他の仕事を進めていたのでしょうし、3日目の助産師さんは私の陣痛が本格化したために ずっと私に付き添ってくれました。その分を他の助産師さんがカバーしているのでしょう。 なんとアッパレな連携プレー!
助産師さんは、私の様子を見ながら、「赤ちゃんが何かに引っかかって降下が止まったかも。左向きで横になってみよう」 などのアドバイスをくれます。そのアドバイスに従って上手くいく事もあれば上手くいかない事もあるのですが、 見えない胎児の状況を想像しながら、適切な一手を考える姿はまさにプロフェッショナルで、とても心強かったです。

やがて陣痛のクライマックス。痛みのあまり無我夢中で目をつぶると、「目を開けなさい!」と新しい声。えっ、誰? 目をひらくと、見たことない助産師さんが眼光するどく私を見つめています。さっきまでは居なかった方です。 彼女は「大丈夫、私の目を見て、呼吸して」と唱えながら、私をじーっと見つめるので、私も彼女から目が離せなく なります。また別の助産師さんがテキパキとドレープを広げたり、インスツルメントを並べ始めました。おそらく出産が 近いと読んで準備をしているのでしょう。ずっと私の腰をさすってくれていた助産師さんは、今も腰をさすってくれて います。ついさっきまで助産師さんは 1人だったのに、急に 3 人になっています。す、すごい。

今にも産まれそうな 17:00、5 時間も腰をさすってくれていた助産師さんが「定時なので帰ります」と爽やかに 去っていきました。私にとってはビックイベントでも彼女にとっては日常です。「帰るんかーい!」とツッコミ入れたく なったけど ( そんな余裕はない )、いつ陣痛が始まるか分からない、いつ出産が終わるか分からない、でもスタッフが 定時で働きながら母子を守れる、なんてカッコいい職場でしょうか。(結局 17:19 に生まれました)

出産において、胎児は確実に初心者だし、母も初めてか数回の経験しかありません。助産師さんはプロでも、 実際に頑張る人たちはアマチュアです。助産師さんはアマチュア達を頑張らせなければいけない。誰かを頑張らせるのは、 自分が頑張るより大変でしょう。また、胎児と母の様子をみながら、このまま分娩させるか、帝王切開に切り替えるか、 適切な判断をしなければいけません。スゴイお仕事です。
出産を終えたとき、「この人達のお仕事を間近に見学できただけでも、出産した甲斐があった」と本気で思いました。
5 月 5日は国際助産師の日。世界中の助産師さん、どうもありがとう。心の底から尊敬してます。

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2022年2月Vol.107 サクッと小噺 2022年08月19日

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赤い!可愛い!!甘酸っぱい!!! …といわれたら、何を思い浮かべますか? そう、苺です。毎年1月末〜4月にかけて、サク家の女三人(母57才、私34才、妹31才)は「苺探検隊」なるものを発足します。それぞれ遠方に住んでいるため、一緒に苺を食べる機会はあまり無いのですが、各自が己の地域性と家族形態と懐具合を駆使して片っ端から苺を食べまくって、その写真と報告書をグループLINEで発表するのです。

 

三人の中でもっとも恵まれた場所に住んでいるのは母です。彼女は埼玉県北部に住んでいるので、ちょっと北上すれば苺生産量日本一の栃木県に入ります。甘味と酸味のバランスが良い「とちおとめ」、果肉が柔らかい「とちひめ」、際立って甘くて赤い「とちあいか」、子供のげんこつくらい大きい「スカイベリー」、高級白苺の「ミルキーベリー」などなど・・・
全国に出回っている品種から、デリケートなため遠方に出荷できない品種まで、多種多様な苺を苺農家に買い付けに行くことができカフェ併設の苺農家も多いので、採りたて苺のパフェやパンケーキやアイスクリームにも事欠きません。
新婚、子なし、夫婦共働きの妹は、リッチな苺デートを満喫しています。ホテルで味わう1個3000円の苺パフェ、百貨店で買う1ホール1万円の苺タルトは、宝石と見間違うほどの美しさです。これらの苺そのものの味は、栃木の苺農家から買い付けてくる苺に比べると、同等またはやや下で、上回る事は無いそうです。
しかし!苺を引き立てるスイーツ要素のクオリティが、圧倒的に強いらしく、「苺の甘さを邪魔しない生クリームや、苺の冷たさを邪魔しないアイスクリームは、流石としか言いようがありません。本来なら生クリームは苺より甘いし、アイスクリームは苺より冷たいのに、これらを添えながら苺を主役として引き立てる(見た目だけではなく味の上でも苺を主役にする)のは簡単では無いと思うが、そのバランス感覚は流石のパティシエ。」と妹は熱弁します。プロの仕事に脱帽です。

 

小さな子供を抱える私の研究対象は、道の駅の苺、コンビニやシャトレーゼの苺スイーツ、ファミレスの苺スイーツ、です。道の駅には地域ごとに違う苺が売っていて、食べ比べると面白いです。硬め⇔柔らかめ、酸味⇔甘味、丸っこい⇔シュッとしてる、どれもそれぞれ美味しくて、これはもう好みでしょう。私はわりと硬め、やや酸味強くて、丸いけど尖っている王道の形が好きです(「とちおとめ」、「やよいひめ」、「あまおう」、「アスカルビー」)。

 

コンビニの苺スイーツも心躍りますが、全品を試してみて全体的にハズレが無いと感じたのはシャトレーゼです。安価なスイーツショップと侮っていましたが、スイーツに特化しているだけの事はあります。ファミレスは、苺も大した事はないし、生クリーム等も甘ったるいのですが、「どうしても苺パフェが食べたい!」と苺パフェ発作が起きた時に(どんな発作だ)、子供連れでも駆け込みやすい場所です。
三人とも真剣に取り組みます。毎年、活動開始時はワクワクしていますが、後半になると「苺以外のスイーツも食べたい」なんて文句を言いながら、苺を食べています。レストランやカフェやケーキ屋さんで他のスイーツを食べたくなっても、苺探検隊としては苺があるかぎりは苺を選ぶしかなく、そして今の時期は苺スイーツは絶対にあるのです。苺スイーツ市場は本当に巨大で、食べても食べても次が出てきます。

いい年をした大人の女三人の本気の遊び。今年も満喫します。

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2022年3月Vol.108 サクッと小噺 2022年08月18日

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「うちの子が1番かわいい」

よく聞くセリフですが、私も実際に子供を持ってみて、この言葉は真実だと実感しました。妊娠すればお腹がでて歯肉が腫れて足がつって、出産すれば髪が抜けて肌が荒れて骨がもろくなるのに、うちの子が1番かわいい。
赤ちゃんはウンチオシッコを垂れ流すので布団を汚される事もあるし、夜泣きがひどくて家族一同眠れない夜もあるし、歩き始めたら階段から落ちたり机に登って落ちたりと、親は心休まる瞬間など無いわけですが、やっぱりうちの子が1番かわいい。ここまで親の幸福センサーを狂わせるのは、次世代を育てさせるホルモンの働きが大きいのでしょうが、客観的な理由も見つけました。

赤ちゃんや小さな子供は自分の感情に正直です。愛想笑いはできません。慣れない場所や慣れない人に会うと、緊張して顔がこわばります。良くても無表情、悪ければ泣きます。そして、私達が「よその子」に接する時、その子は緊張しているケースが多いです。つまり「その子の中では可愛くない表情」をしているのです。
その一方で、私達が「うちの子」に接する時、子供はリラックスしているケースが多いです。笑って、驚いて、怒って、泣いて、また笑って・・・表情がクルクル変わりますが、無表情はめったにありません。つまり「その子の中でも可愛い表情」をその子の親には次から次へと見せてくれる、と言えます。それゆえ、どの親も「うちの子が一番かわいい」と感じるのですが、そもそも比較する表情がフェアではないのです。「よその子」の1番可愛い顔は、他人の私達はなかなか見ることができないのですから。

頑張った分だけ喜びが増すのは育児以外にも当てはまる現象です。たとえばグループ旅行をする際、その旅行をもっとも楽しめるのは、実際に計画した人だそうです。現地で観光する際に下調べの知識があるほうが感動が大きくなりやすいからです。たとえば恋愛関係では、相手を落とすまでに費やした時間やお金のコストが大きいほど相手を深く愛するようになるそうです。たとえば会社が新商品を発売するとき、スタッフ皆が嬉しいけれども1番嬉しいのは開発担当者です。
P.D.R.も新商品を発売する際は販売予想をたてますが、開発担当者の予想数が一番多いです(=その商品を1番高く評価しているという事です)。このように、人は自分自身が努力するほどに、面白くて愛おしくて嬉しく感じる傾向があります。子供にはけっこうな労力と時間と費用を消耗されますから、うちの子を1番かわいく感じるのは、この理屈からも納得できるのです。

私も母親になってもうすぐ2年。これからもいろいろあるでしょう。「うちの子が1番かわいい」という感情がどう変わっていくのか、楽しみです。

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2022年1月Vol.106 サクッと小噺 2022年08月05日

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新しい年が始まりました!どんな年にしたいですか? まずは「コロナ終息」が多くの方の願いだと思いますが…。
これから世界はどこへ向かっていくのでしょう。人類はどこへ向かっていくのでしょう。このような大きなテーマについて、私は最近、考えを改めたことがあります。

いま世界的に進められている取り組みとして、SDGs(エス・ディー・ジー・ズ)が挙げられます。
Sustainable Development Goals = 持続可能な開発目標、もっと詳しく言うと、持続可能で、地球上の誰一人取り残さない、より良い世界を目指す国際目標です。環境に優しいエネルギー開発や、飢餓の撲滅や、ジェンダー平等などが掲げられています。
すばらしい目標ですが、私は最初にSDGsを聞いた時、ちょっと理想主義に過ぎるように感じました。
理想的すぎて、机上の空論に過ぎないのでは…と。


でも、SDGsが提唱されるようになって、小さいけれど確実な変化をところどころで目にします。
あるお菓子メーカーは、お菓子の容量はそのままでパッケージサイズを縮小しました。
陳列棚で目立つことより資源節約を優先し、しかもこの姿勢に顧客の賛同を得られると判断した、ということです。
また、あるレストランチェーンは、残り物の持ち帰りを勧める動画を各テーブルのタッチパネルで流して、タッパーを配り始めました。お腹を壊したらどうするんだ的な反対意見は出たと思うのですが、それでも食品ロスを減らすことを選んだということです。

脱炭素を目指して、エネルギーも変化しています。馴染み深いところでは、各自動車メーカーが電気や水素へ大きく舵を切っていますよね。また、私の親戚の若いエンジニア(20代後半)は、「これから伸びるのはクリーンエネルギーだ!」と言って、ある大企業からスタートアップ企業へ転職しました。
転職先の企業はエネルギー消費時に環境を汚さないだけではなく、エネルギー生産時にも環境を汚さない、徹底的な環境保護を企業理念としています。
若い人がSDGsの観点から仕事を選ぶ例を、身近なところでも見せてもらいました。
教育テレビではLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチョニング)のドラマやトーク番組が普通に放送されているので、私達大人より今の子供のほうが、性に関する偏見は無くなっているのかもしれません。ジェンダーレス制服(男女兼用制服)も少しずつ普及してきて、性的な理由でもそれ以外の理由でも、スカートでもスラックスでも好きな方を選べるようになっていていいなぁと思います。私なら夏服はスカート、冬服はスラックスにしたいです。

SDGsは世界規模の理想論であり大義名分です。これに背中を押されて、具体的な一歩を踏み出す企業がでてきています。
「小さいけれど確実な変化」がところどころで起こっているのです。今まで、私は「理想的」より「現実的」な話のほうが価値があると考えていたのですが、「理想論や大義名分も大事なんだ」と考えを改めました。きっと世界は良くなります。
そっちに向かって、「小さいけれど確実な変化」が沢山ある1年になりますように。ささやかながら私も貢献できますように。そんな事を思います。

本年も、よろしくお願いいたします。

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2021年12月Vol.105 サクッと小噺 2022年07月29日

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早いもので今年も終わりですね。今年は息子が保育園に入園したり、P.D.R.が引っ越したり、私も引っ越したりと、変化の多い1年でしたが、変化のうちの1つが「自動車免許の取得」です。わたくし、33才にして、ついに車の運転ができるようになりました!

今まで免許を持っていなかったと言うと驚かれますが、運動神経が悪くて機械に弱い私にとって、自動車免許は雲の上の存在でした。しかし、ついに、子供が生まれ引越しという必要に迫られて、重い腰をあげて自動車学校の扉を叩きました。
さて。運転授業の初回では、私からは何も言っていないのに、教習所の先生は「大丈夫!誰でも最後は運転できるようになります」と励ましてくれました。こんなコメントをいただくという事は、私の当時の運転技術は推して知るべしです。
先:ハンドルさばきが焦りすぎですよ。
サ:ハンドルをきる量と、右左折の角度の、関係性がよく分からなくて…。
先:ハンドルで曲がるのではなくタイヤで曲がるんです。ハンドルはタイヤの向きを調整しているだけです。
サ:えぇっ?!
この時まで、私は右左折のときにタイヤが角度を変えていることを知りませんでした。
ハンドルをまわすと車がまわるのかな〜と思っていて、ハンドルとタイヤが繋がっているとは考えませんでした。
皆さんにとっては「当たり前だろう」ということなのでしょうが、車はタイヤで進んでいるのですね。タイヤの向きで方向が変わるし、タイヤの回転で速度が変わるんですね。私は車が進む仕組みを気にした事さえなかったのですが、学んでみると、うーむ面白い。車を発明した人、設計する人、作る人、すごいですね。

 

車の仕組みもさることながら、交通ルールにも感嘆です。
重さ1トンを超える物体を最高速度60km/h(高速では100km/h)で動かすなんて、とんでもなく危険なことを大人数が同時に行いながら、事故を防ぐためのルールが沢山あります。たとえば「直進と左折を優先して、右折は待ちましょう」とか、「右折車がいつまでたっても右折できないと可哀相だから、青矢印で右折車だけが動ける瞬間を作りましょう」とか、いつ誰が考えたのでしょう。
もし私がルールを作る人だったら「右折禁止にして、左折と直進だけで目的地まで行ってもらう?」なんて事を
言い出しかねません。私が交通ルールを作るエライ人じゃなくてよかった。交通ルールを作る人もすごいですね。

このように、自動車学校には感動する事が沢山ありました。忍耐強く教えてくださった先生方に感謝です。くれぐれも注意して、カーライフを送りたいと思います。

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2021年9月Vol.103 サクッと小噺 2021年10月01日

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美人の絵といえば誰を思い浮かべますか? ボッティチェリのヴィーナス。フェルメールの真珠の耳飾りの少女。ミレイのオフォーリア。ラファエロのラ・フォルナリーナ。清らかな少女、艶やかな美女、絵画には美しい女性がたくさんいますが、私は特に日本画が好きです。特に美人画の名手、鏑木清方が描く女性は最高です。彼の美人画を鑑賞しながら考えたこと・・・素人考えですが、私が感じたことを書きたいと思います。日本画の女性はなぜこんなに美しいのか? 中でも鏑木清方の女性はなぜピカイチなのか?


●3首の露出●
よくファッション雑誌や番組でも取り上げられていますが、3首(首・手首・足首)を露出すると垢抜けるそうです。
3首には曲線の色気が漂うし、ほっそりして女性らしいし、胸やお尻と違って直接的ではありません。3首の色気はあくまで自然体なので、時には相手を引かせてしまう「狙ってる感」は出ないのです。そして日本画の女性はたいてい着物を着ていて、着物はまさに3首露出! 3首以外は布に包まれて見えません。見えるのは3首だけなので肌露出の総面積は少ないですが、しかし、たとえばノースリーブとミニスカートの女性より、着物の女性に色気を感じる人は多いのではないでしょうか。
☞日本画の女性が色っぽい理由:着物(3首露出)だから。

●自然な立ち振る舞い●
浅学のためハッキリとは言えませんが、日本画は洋画に比べて「カメラ目線(絵なので画家目線?)」が少ないと思います。
モデルが画家を意識していない、画家に気づいてさえいない様子です。そのため、その絵を鑑賞する際は、「鑑賞者とモデルが対面する」というより、「鑑賞者がモデルを一方的に眺める」ようになります。絵の場面によっては「のぞき見している」気さえしてきます。
たとえば湯上りの女性が縁側で涼んでいる姿(浴衣を着ているため裸が見えるわけではないが、ほてった肌が色っぽい)。たとえば秋の夜長に本を読む女性が、外から入ってきた虫に気づいてじっと見つめる姿(彼女は虫に集中していて、自分が見られているなんて思いもよらない)。
たとえば突然のどしゃ降りに、あわてて窓を閉める女性(軽く眉をひそめて、走ってきたのか浴衣の裾がすこし乱れている)。こういった場面の鑑賞は、「のぞき見」しているようでドキドキします。
何がイケナイのかよく分からないけど、なんとなくイケナイ場面を見ている気がします。
☞日本画の女性が鑑賞者を興奮させる理由:自然かつ美しい所作を取っているから。

●髪の毛●
上記2点は日本画の美人に総じて当てはまりますが、鏑木清方の女性はひときわ美しいーと私が感じるのは、彼が描く女性の髪の毛ゆえです。量が多くて、柔らかくて、ふんわりして、艶がある髪です。特に生え際の色気は凄まじいものがあります(おでこと頭の境目、うなじと頭の境目)。生え際はぼかして描かれているだけに、ぼかしの中に永久なる美を感じて、凝視。静かな美術館で、私は思わず呟きます。「…エロい」と。
☞鏑木清方の女性が特に美しい理由:髪の毛。特に生え際が色っぽい!

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2021年8月Vol.102 サクッと小噺 2021年09月19日

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こんにちは、サクッと小噺のサクです。1才4ヶ月の息子がほぼ卒乳しました。一緒に入浴しているときなど、たま〜に思いついたように乳首にかぶり付いてきますが、もう「吸っている」というより 「噛んでいる」です。
なので卒乳と言ってよいでしょう。おつかれ、私のおっぱい。

 

両乳とも、今は静かに黙りこくっていて、話しかけても返事もしません(当たり前だ)。でも母乳育児中、とくに0才の1年間は、おっぱいにはたしかに人格がありました。

右乳と左乳で性格も違いました。
あまりにも人間味があるので、私は右胸を「うっぱいさん」、 左胸を「さっぱいさん」、

と呼んでいました。
たとえば、生まれたての赤ちゃんは2〜3時間おきにお腹を空かせて泣きます。昼も夜も関係なく 赤ちゃんに起こされるなんてまいったな・・・と思っていましたが、息子より先におっぱいに起こされることも多かったです。

息子が泣き出す前に、母乳が溢れ始めて「赤ちゃんお腹が空いてます!」と訴えてくるからです。そしてその訴えの直後に息子が泣き始めます。私より先に、うっぱいさんとさっぱいさんが、息子の空腹を察していました。

乳首を吸われると、うっぱいさんはちょうどよいペースで母乳を出すことができました。ところが、 うっぱいさんを吸っているとさっぱいさんが「私だって出ます!私の方がたくさん出ます!」と母乳の排出量を増やしてくるのです。それならばという事で、さっぱいさんを息子に吸わせると、さっぱいさんはテンションMAXになるのかドバーッと排出の勢いを増します。まるで間欠泉です。排出の勢いがすごすぎて息子はうまく飲むことができません。顔全体にビシャーッと母乳をかけられて大泣きしています。うっぱいさんより先にさっぱいさんを吸わせても同じことです。

さっぱいさんは息子のために頑張っているのに、やる気が空回りしているかんじが、切なかったです。うっぱいさんとさっぱいさんは仲良くないのかな?というより、さっぱいさんが一方的にうっぱいさんをライバル視しているのかな?と思っていましたが、片方が負傷したときに変化が起こりました。

ある日、息子に噛まれてうっぱいさんの乳首の付け根がパックリ割れて、うっぱいさんに一週間のドクターストップがかかりました。
うっぱいさんが休んでいる間、さっぱいさんだけで働かなくてはなりません。さっぱいさんは量は十二分に出るけれど、出方に問題があります。母乳を哺乳瓶に入れて飲ませられれば良いのですが、息子は哺乳瓶を受け付けません。同じ理由でミルクも不可です。こりゃ困ったな〜と思っていたら、ここでさっぱいさんが変わったのです。ドバーッと吹き出す間欠泉ではなく、コンコンと湧き出る泉のような排出ペースになりました。

ライバル(うっぱいさん)が休んでいることで変な闘争心が無くなり、落ち着いて仕事できるようになったのでしょうか。そして、うっぱいさん復帰後は、うっぱいさんとさっぱいさん双方が丁度よいペースで補い合って働いていました。なんだか面白いですよね。どんな気持ちの変化があったのか、さっぱいさんにインタビューしたいくらいです。

今は両胸とも静かです。人格は感じません。さよなら、うっぱいさんとさっぱいさん。本当におつかれさまでした。

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2021年7月Vol.101 サクッと小噺 2021年08月19日

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「猫に名前を付けるのは、とても難しいことなのです」―とはT.S.エリオットの詩の一説ですが、名前を付けるのが難しいのは猫に限ったことではありません。
商品に名前を付けるのだって相当難しいと思います。商品のイメージに合って、覚えやすくて、売れそうで、かつ先行品とかぶらない名前が理想ですが、なかなか難しいんですよねぇ・・・。

 

P.D.R.の商品の中で、私が一番好きな名前は、マスクの「ミミラクダ」です。
「耳」と「ラクダ」という馴染み深い単語でできているので覚えやすいと思います。長時間つけていても耳が痛くなりにくいゴムを使っているのですが、そんな説明をせずとも、「ミミラクダ→耳ラクだ→耳がラクなんだろう」と連想できます。また、マスクのパッケージにラクダのイラストを盛り込むなど、デザインの方向性も商品名から決まりました。実は、耳がラクなマスクはミミラクダだけではなく、ミストラル(ゴムが柔らかい)、ひぃふぅみぃ(ゴムの幅が広い)、プルム(ゴムがフワフワ)など他にもあるのですが、ミミラクダは名前のおかげで「耳がラクなマスク」として覚えていただきやすくなっています。名前で得している商品と言えるでしょう。

意外なメッセージが込められた名前もあります。たとえば歯ブラシの「シャカシャカ」はヘッドが大きくて毛がたくさんあります。短時間でもきれいに磨けることを目的とした歯ブラシです。
そんな「シャカシャカ」の名前は、なんと「釈迦」から来ています。あまり知られていませんが、お釈迦様は歯が40本もあるのです。40本もあったら歯磨きはさぞ面倒くさいでしょう。

短時間でも磨ける歯ブラシをぜひお釈迦様にも試していただきたいーという想いから、商品名が決まりました。ちなみに、最初の案は「シャカ」だったのですが、「仏具みたい」とか「おしゃかになる=ダメになる、という意味だからマズイ」などの懸念を受けて、「シャカシャカ」になりました。同音を繰り返したら音感が可愛くなったし、ブラッシングの音にも通じるところがあります。

商品の質と価格から名づけた例もあります。ニトリルグローブ「ボルク」は、当時まだ手触りが硬いことが多く、価格も高めなことが多かった二トリルグローブを、「使い勝手が良くて価格も高くないから、みんなが使いやすい」という意味で「ボルク」になりました。ドイツ語のVOLK(人、国民)です。自動車のVolkswagen(フォルクスワーゲン)も、当事は普通の人には手が届かなかった自動車を、みんなが持ちやすい車として発売したそうですが、同じようなニュアンスですね。

このように、商品の名前にはいろんな意図が込められています。―と言い切るとカッコいいですが、ノリで付けた名前もあります。たとえばグローブ「ドーン」の由来はドーンと500枚も入っているから、それだけでした。でも、後になって、大容量だし薄いからドーンと安い、安いからドンドン使える、カートン3000枚入はドンッと重い・・・

などなど、ダジャレも生まれて、手前味噌ですが良い名前だと思います。

名前なんて何だっていいよ!と言われたら、そうかもしれません。名前以上に商品そのものが大事なのはもちろんです。

それでも、お客様に「ドーン重宝してるよ」なんて言われると、「あ、名前まで覚えてくださっている・・・」と思って、私たちは嬉しいのです。

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