9月の1冊

こんにちは、PDR米澤です。

今回は初回から局地的に好評(?)な私の独断と偏見に基づいた書籍紹介の第2回。
ということで「9月の1冊」としてご紹介させていただくのは、堀江貴文氏の「新・資本論 僕はお金の正体がわかった」です。
 
内容としてはタイトルからも分かる様に彼のマルクスを模して「お金とは何なのか?」を堀江氏独自の視点で定義しているのですが、つまるところ堀江氏の主張は「お金は信用を数値化したもの」という事に集約されています。
 
ただ、「信用を数値化する」という概念がなかなか理解しづらいかもしれませんが、”credit”という単語が「信用」を意味する事を踏まえ、「クレジットカード=信用カード」とするとイメージしやすいかと思います。
クレジットカードの場合で考えるなら「この人にならこれだけお金を貸してもいい」という「信用」を数値化したものが支払限度額にあたるでしょうか。
他の例を挙げるなら、 
  • Aクンならウチに泊めてもいい
  • Bサンになら友達を紹介してもいい
  • Cサンには車を貸してもいい 
という事が数値化はできないものの「信用」にあたります。
そこで、堀江氏は「お金」の多寡ではなく「信用」の有無が問題だとし、「信用」を創造するためのコミュニケーションが現代を生きぬく上で重要な要素だと説いています。
 
ところで、話は変わりますが、アメリカの「バーニング・マン」という祭り(タイムリーなことに昨日から始まっている)を皆さんはご存知でしょうか?
この祭りは外部から隔離された灼熱の砂漠で行われ、参加者は水、食料、衣類、住居など事前に準備し、貨幣を媒介したやり取りや商行為が禁止された状態で隣人達と信頼関係を築き、助け合い、1週間生き抜くという究極のサバイバルだそうです。
こうした状況下に陥る事は日常生活の中では無いとは思いますが、このように極端な状態を想定すると如何に「お金」に意味が無く、「信用」の有無が重要かが分かる気がします。

 

そう考えると、母親などから「貯金しておいた方がいいよ」と言われて何となく違和感を感じていた事、堀江氏の「貯金は悪」という主張、諸先輩方の「30才までは貯金しなくていいよ」という価値観に何となく魅力を感じていた事が繋がって視野が明るくなった様に思います。

「お金」の貯金ではなく、「信用」の貯金のために「お金」を遣うという方向性が自分の中で定まった事。

 
例えば、急に誰かに食事に誘われても用事がなければそこに行く事に「お金」を遣う、そこで話をする時間を買う為に「お金」を遣う。

こういう時に家に居れば「お金」は貯まりますが、「信用」を貯めるにはその現場でその人と直接コミュニケーションをとる事が必要だと思います。