2015年3月Vol.33

こんにちは、サクライです。先月ドイツのケルンで行われたIDS(インターナショナル・デンタル・ショー)に行ってきました。

ついでにケルン大聖堂も見てきたのですが、その時に後輩から出た質問が新鮮でした。「イエス・キリストって何がすごいんですか? 磔(はりつけ)にされて辛そうです。こんなに弱っている人に、いったい何を祈るんですか?」おぉっ、根本的な質問!!

解説すると、「へぇ~、面白~い❤サクライさんすご~い❤❤」と目をキラキラさせて喜んでくれるので、私はすっかり気分が良くなってしまいました。…―その後でフッと思ったのですが、知識があると教会も楽しくなりますよね。私は大学で宗教学を修めたので教会について簡単に知っていますが、そうでもなければ、なかなか知る機会はありません。せっかくなので、ここで“教会を見る上で知っていると面白そうな事”をお話ししたいと思います。教義の解釈はたくさんあってここには書ききれないので、最も一般的で、簡略化された分かりやすい話をお伝えします。ヨーロッパに旅行する時にでも参考にしてください。

 

どんな教会でもイエスは十字架にかけられています。これは当時の処刑方法で、ものすごく苦しい死に方です。
そんな人に向かって教徒が頭を下げるのはナゼか? 敬意や憧憬もありますが、1番は感謝です。「人類を救うために死んでくれてありがとう」と言っているんです。えぇっ?! 何ソレ?!

 

「イエスの死への感謝」には、2つの前提があります。1つ目は、全ての人間は生まれながらに罪深い存在で、天国には行けないという事(アダムとイブが禁断の果実を食べて楽園を追放されましたが、全人類はこの罪を受け継いでいます)。2つ目は、神様に許してもらうためには、捧げ物が必要だという事です。

 

「人類の出発点からずーっと続いている罪を許してもらって、天国に行かせてもらう」こんなに大きな許可を得るためには、とても良い捧げ物をしなければいけません。捧げ物は動物かしら?魂のレベルが低すぎます(動物は人間より低次元の生き物と見なされます)。だったら人間かしら?どの人間も罪深くて不潔です。もっと良い捧げ物が必要
です!! ―これが、イエスでした。

 

イエスの父は神、母は処女マリア。性交を通して生まれていないので、アダムとイブから続く罪の遺伝子も受け継いでいません。だからイエスは最高に清らかな生き物なんです。地球上で最も清らかな生き物を神様に捧げることで、全人類を許してもらったんです。

 

イエス可哀想…と思うと複雑になってきます。イエスはもともと生贄(いけにえ)になる前提で地上に来たので、けして被害者ではないんです。イエスの処刑は神の御意志だったのです。その上、イエスと神は同一と信じられています。しかし「神なら死ぬ時に苦しくは無かっただろう」という解釈は認められず、あくまで「イエスはめちゃめちゃ苦しんで死んだ」事が大事なんです。
だからこそ人類の罪は許されるのであり、だからこそ教徒はイエスに手を合わせるのです。(苦しまなかったという解釈をした宗派もあったのですが、宗教論争で“異端”とされてしまいました。)

 

うーん、日本人には難しい教義ですね。日本では“罪”より“穢(けが)れ”の感覚の方が強いですし…(穢(けが)れは水やお払いで落ちます)。でも、観光で教会に行った時に、何も知らないよりはちょっとは知識がある方が面白いと思います。これから機会があれば、ぜひ思い出してみてくださいね。

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