ハラジョーな人生|1985年〜

 

ふと気がつくと、私は24歳になっていました。

かわいがっていた後輩までもが、次々と就職を決めていきます。

中にはオーストラリアやドイツ、

スイスの会社に就職した羨ましいヤツもいました。

 

自分のチカラでみんな稼ぎだしたんだなあ…

ここで何もせず突っ立っている自分に、

苛立ちを覚えたのは言うまでもありません。

 

歯医者さんのところに、よく材料屋さんが来ていました。

「先生、今回だけでいいですから、買って下さいよ。頼みますよ」

そうすると、大抵の先生は買ってしまうんですね。

 

(お願いするだけでいいのか、カンタンじゃん。やってみようか)

そんな関係に至るまでの、歯医者さんと材料屋さんの間の信頼関係などは

全く見えていなかったんですね。

 

そして、1984年。25歳で材料屋さんになりました。

社名は太平洋研究開発を縮めて『太洋研開』です。

 

おかしな事があったものです。

せっかく材料屋さんになった私に、問屋が商品を卸してくれないのです。

どうやら、材料屋組合というものがあって、

そこに属していないと問屋さんが取引きしてくれないようなのです。

組合に入ろうと思ったところで、実績や推薦人がないと入れてくれない。

 

なんだ、それ?

 

取引先の先生が裏工作をして組合に話をつけてやると言ってくれましたが、

オモシロクないので断りました。バカヤロ。

 

問屋を通さずに、自分でメーカーから商品を買いつけることにしました。

でも、一流メーカーは、どこの馬の骨かもわからない私には商品を売ってくれません。

ネームバリューはないがモノは良い、そんなメーカーを探しました。

問屋を通さずに仕入れるから安く売れるし、なんとか商売としてやっていけました。

 

当初立てた『一ヶ月の売り上げ50万円・荒利20万円』は、開業3ヶ月で達成。

で、次は『荒利50万』を目標にしたのですが、いくらたっても達成できない。

1日中車を運転して歯医者さんや技工士さんに営業を掛けたのですが…

おしりが痛くなっただけで、何の成果も得られない毎日が続きました。

 

結局、荒利50万円までには2年かかりました。